便秘薬に依存

 精神薬を飲んでいると、ほとんどの人が便秘になるらしい。母は、もう何年も毎晩便秘薬を飲んでいる。先月、便秘症状がよくなり、時々やわらかい便もでるため、便秘薬を2錠から1錠にしてもらった。
 主治医がいうには、「これだけ長期間飲んでいるので、薬の依存症があるかもしれない。1錠だと効かないかも」ということだったが、そのとおりになった。
 1錠にしてから、便秘になり、その後結局2錠ずつになっている。それでも、毎日はない。先月と違って、寒くなり一日中寝てばかりのせいなのかもしれないが、一週間もない。
 便秘は、半分以上は精神薬の影響だが、本人の運動量や生活の有様で大きく左右するのかもしれない。
 しかし、長年便秘がちのため、本人はまったく不快感がないし、食欲はあるし、私には理解できない。
 
 

母の床づれ

 母は、一年ほど前に、ひどい床づれで、お尻の尾てい骨のあたりの皮がやぶれ、出血した。傷は、深く、やっと薄皮が再生したものの、いつも寝ていると当たるので、普通の肌色の皮膚にはもどらないままだった。
 それが、先週また出血し、下着やシーツまで血で染まった。本人は、そこが見えないということもあり、違和感はあったものの、私が下着に血がついているのを見つけるまで、気がつかなかった。
 すぐに手当てをしたので、傷口からの出血もすぐに止まったのは、幸いだった。さもなくば、また、傷がふさがるまで大変時間がかかるのだ。その間は、医者に通い、風呂も入れない。
 いくら口で説明しても、痛みがないとたいした傷とは、認識できないので、携帯電話のデジカメで床づれを撮影して、見せてあげた。本人は、「こんなにひどいとは」と驚いていた。まだ、床づれのところは、赤い薄皮の状態なのだ。
 うちの場合は、寝ている時間は長いが、姿勢を変えることは可能だ。ほんとに、体の不自由な人は、もっとひどい床づれをおこすのだろうから、大変だと思った。
 
 

足の体操もダメ?

母が前かがみの姿勢で、フラフラと不安定な歩き方をするため、私はヘルパーさんに外へ連れ出す前に、部屋で準備運動として膝の上げ下げ運動をやってほしいとお願いした。はじめてから、一週間ぐらいで、少しずつ歩き方も安定してきた。
 それが、先日ケアマネージャーさんの耳に届き、釘をさされた。このようなことをヘルパーさんにさせるのは、原則として認められていない。「リハビリ」にあたるので、専門の人でないといけないのだ。ヘルパーというのは、あくまで「見守り」までなので、体操をさせるというようなことはできないという。これは、今の介護保険制度での話である。これを念頭に入れてもらい、あまりこれ以上のことは、依頼しないようにとのことだ。
 実際、老化は足からというように、足が弱った人には、手厚い補助よりも、まずどうしたら歩かせられるかがとても大切なのである。現場の人間としては、もっと「散歩」や「軽い運動」も介護ヘルパーが付き添ってできるようであると、寝たきり老人予備軍を減らすことができるのだと痛感しているが、それができないのですとケアマネージャーさんは、言っていた。
 来年度から、介護保険にも寝たきり予防の要素を盛り込むというが、はたして、利用者側にたっての改革がされるのかは、はなはだ疑問である。
 
 

第18週目 介護保険の更新

 最初に介護保険の申請をしたのが、五月。有効期間は6ヶ月間。10月はじめに「要介護更新認定」の申請書が市役所から届き、記入して、ケアマネに渡した。
 3週間たっても、認定の日程についての連絡がなかったため、市役所に問い合わせたところ、今利用している居宅介護支援事務所に依頼したので、そちらに問い合わせてほしいとのことだった。
 今回は、いつもうちを担当してくれるケアマネが認定をするのだと知り、すこし安心した。はじめてのときは、母の病歴のことや病気のこと、その他細かな話をたくさんしなければならず、付き添いの私もかなり大変だったからだ。
 一ヶ月に最低一度は、我が家を訪問して、母の様子などを見ているので、その分私も説明が楽になったので、助かった。しかし、ケアマネを利用しない人は、逆に更新のときなどの認定の内容について、的確な判断がされない可能性もあるのではと思った。もうすこし、なにか毎月のヘルパーなどの記録なども参考にできる、客観的な判断資料が採用されればいいのにと思ったのは、私だけだろうか。
野川公園にて

 
 

第17週目 主治医の意見

 七月から訪問介護ヘルパーを利用して、満4ヶ月たった。
 母は、私が付き添って、毎月一回精神科に通院している。この4ヶ月間を振り返ると、わずかながら小さな変化がみられた。
 七月。まだ、介護ヘルパーを利用してまもなくのころ、母には特に変化はみられなかったものの、主治医の意見は、「とにかく、ヘルパーを受け入れたことはいい兆候だ」とのことだった。
 八月。主治医とは、簡単なやりとりだけで、特に自分から病状について述べることはなく、いつもどおり私が日常生活の様子などを説明した。しかし、このころから、よく眠れるようになり、またひどい妄想はなくなった。
 九月。主治医とのやりとりは、特に変わりないが、表情がよくなり、また、私と医師との会話に耳を傾けていることがわかった。以前のような、うつろな表情がなくなったことに、主治医も「いいですね」と評価していた。
 十月。いつもの主治医との問診に、積極的に自分から病状を報告していた。言葉数は、多くはないが、以前のように「普通です」というようなあいまいな答えではなく、「夜は、よく眠れます。あまり、幻聴もきこえません。体のほうは、普通です」というようにすらすらとしゃべったのだ。これは、日頃ヘルパーさんとよく話をしいるためで、「薬ではなく、こういう形で病状が改善するのが、一番いいですね。」と主治医が言っていた。
 確かに、ヘルパーさんとのやりとりは、試行錯誤で一進一退というところもあったが、一ヶ月単位でみると、母の病状にはたいへんいい効果をもたらしていたことがわかった。
 
 

ヘルパーの質について

 私が、いちばん理解できないのは、まず来てもらった目的が何なのかを本当に認識しているのかということ。母の足腰が弱くなるのを、遅らせることである。
 まず、はじめた時点では、ふらふらしていても、ひとりで歩ける状態であった。だから、適切なリードをしてもらって、見守りながらすこしずつ距離を延ばすというのが、申し合わせであった。
 しかし、現実は、「ころぶと自分の責任になる」といって、過保護に扱い、本人も以前よりも、歩く自信を失い、歩きたからなくなった。母の病気のことも、その都度詳しく説明したが、ヘルパーは「わかりました」といいつつ、二ヶ月も自己流を通した。
 ケアマネと相談し、やっとそれは改めたが、母は以前のようにはいかず、ときどき歩くのを拒否するようになった。そうなると、「今日は、できませんたでした」ということで帰る。それでは、いくらなんでもひどいので、私が「足の運動」を勧めた。すると、それもなかなか実行しなかった。
 こうした経緯をケアマネに相談すると、今のヘルパーの制度では、ヘルパーの質は、個人の意欲や考えや経験に頼るしかないとのこと。看護師のような特別な教育を受けるわけではないので、その人の経験が左右する。
 母のようなケースを扱うのは、確かにまれなのかもしれない。私も、それは覚悟していた。しかし、少なくとも、家族からのいろいろな病気についての情報や経験を聞いたら、それを素直にやってみてほしい。そのうえで、難しいことがあれば相談にのるつもりなのだ。私は、毎回細かく母の様子を連絡帳に記すのは、そういう思いからだ。しかし、その内容について、ほとんど理解されていないらしく、「わかりました」とだけ返事され、実行されないのは残念だった。
 しかし、ケアマネとの話で、私のこれまでの認識を変えなければと思った。
 
 

足の運動

「歩くところぶ」という恐怖感が頭から離れない母は、ヘルパーさんが訪問してきても、室内ではいい表情でいるのに、「外を少し歩きましょうか」と言ったとたん、「足がふらふらで歩けない」と足を震わせ、急に顔色も悪くなるという。それで、ヘルパーさんも「負けました」といって、あきらめることがしばしばあった。
 実は、私はそんな母を毎日根気強く、励ましたりして、なんとか歩かせていたのだが、ヘルパーさんは、そのことを知らなかったのだ。
 母になんとか自信をつけさせるには、どうしたらいいかと思っていろいろと思案していたら、以前保健士さんが訪問してくれたときのことを思いだした。それは、膝を上げ下げする運動だ。簡単なものだが、はじめは坐ってやってもよく、できれば立ってやるというもの。
 私は、それを自分で母とやってみた上で、ヘルパーさんにもお願いした。たとえ、外へ出たくなくても、室内ですこし足の運動をさせてほしいと思ったからだ。
 ヘルパーさんは、いったんは承知したが、その後も母とは足の運動はしなかった。「どうせ、やらない」と思っていたというのだ。私は、再三「母とは、やってます」というと、ようやくするようになった。
 こんな小さなことも、私から何度もお願いしないと、やってくれないのかと、母のことと共に、ヘルパーさんの対応に疲れた。
 
 

マイナス面も

 母は、背が少し曲がっていて、歩くときに、前のめりになり、少し左右によろよろしている。それでも、なんとか杖を使わずに、歩いている。今は、自宅から横断歩道をわたり、歩道にそって、200メートル歩いてコンビにまでいくのが、やっとである。それ以上は、「できない」と拒否する。
 私は、現在の状態から、付き添いながら、だんだんとすこし距離を延ばすようになればと思っていた。それで、ヘルパーさんには、「なるべく、手をひいたりしないで、見守りながら付き添ってください」とお願いした。
 ところが、はじめてしばらくして、母が「私は、手をひいてもらわないと歩けないから」と、いままで一人でなんとか歩いていた道も歩くのを拒否するようになった。すぐに、ヘルパーさんには、事情を話し、「本人は、手を引いてもらい、逆に自信をなくしている」と伝えた。
 ヘルパーさんは、しばらくは私の言うように、手をひかずに付き添っていた。ところが、数週間して、また、母の様子がおかしい。ときどき、「いつも、手をひいてもらうから歩けるの」という。
 母に、歩いているときの様子をくわしく聞くと、最近は玄関から出て戻ってくる間、ずっと手をひいてもらい、物をもってもらっていたという。それで、ヘルパーさんのいない日は、外をひとりで歩こうとしなくなったのだ。
 私は、「このような、介助の仕方では、以前よりも後退することになりますので、賛成できません。」とヘルパーさんと話しあった。よく話を聞くと、「歩くと転ぶのでは」と常に恐れていたのは、ヘルパーさんのほうであることがわかった。
 「自分の責任になるし、事務所の名前にも傷がつく」というのだ。母は、そうでなくても、自信がなく、それでも、がんばっているのに、いっしょに付き添う人が励ますのではなく、自分の保身を気にしているのでは、うまくいかないと思った。
 その後、ケアマネからも、ヘルパーさんのほうに話をしてもらい、すこしずつ意識を変えてもらうことができた。ただ、母のほうは、まだ、歩くことへは、自信はついていないようである。母の意識を変えるのは、難題である。
 
 

ヘルパーさん効果

 母は、若いころから人間関係を作るうえではあまり得意ではない。友人もほとんどなく、兄弟とも疎遠であった。また、人が集まるところへ行くことや、いっしょに過ごすのも、苦手であった。
 年をとると、足腰が弱くなり、ますますひきこもりがちになった。その上、精神病を患っていると、毎日薬を飲まなければならないので、その副作用に苦しめられた。
 母は、ずっとひとりで通院していたが、自分からそういう症状を訴えない傾向にある。医師に「どうですか」と聞かれても、「ふつうです」とか簡単に言うだけのため、ほとんど何年も同じ処方のままであった。
 その傾向は、家族に対しても同様で、今では私には正直に話すが、昔は、「具合悪いの」と家族が聞いても、「心配しないで、大丈夫」という答えだけしかかえってこなかった。ところが、大丈夫どころか、それが、悪化していく始まりでもあったのだ。
 人の前では、けっして本心は言わないというのが、母の性格であった。そして、それは、幻聴でいつも「自分の悪口」を聞かされているためでもあった。 
 ヘルパーが訪問してから、母は、少し表情が明るくなり、会話もすこし前よりも、持続するようになった。いろいろと自分に親切にしてくれるヘルパーが、よほどうれしかったのだろう。
 私も、はじめの一ヶ月は、この良い兆候がうれしく、「ヘルパーさん効果」と呼んで喜んでいた。
 
 

ヘルパーとの面接

 ケアマネージャーにケアプランの作成を依頼し、実際のサービスが利用できるようになったのは、介護申請してから二ヵ月後のことだった。
 ヘルパーの訪問前に、家族との面接を設けてもらった。ケアマネージャーやヘルパー事業所の責任者、派遣されるヘルパーと自宅で面接した。母も、同席して、私が実際の作業に関しての要望などをいい、また互いの連絡方法などを打ち合わせた。
 ヘルパーは、50代の女性で、明るい感じであるのが、第一印象であった。また、母が慣れるかどうか不明のため、当分同じ人ということとした。週二回、一時間ずつ訪問することになった。
 お願いすることは、母の部屋(和室畳)をいっしょに掃除すること。それから、近くのコンビニまで買い物するのに、付き添うこと。もちろん、足腰のための運動が目的なのだということは、強調した。
 同居しているため、母の食事の世話や、洗濯、その他の用事はほとんど私がしていた。ほんとうは、母が使うリビングや便所の掃除、洗濯の一部もお願いしたかったが、それよりも、母の運動時間のほうを重視して、そういう取り決めをした。
 初めての訪問日にも、母との相性がよかったらしく、好スタートを切ったと思った。
 
 

ケアマネージャーと

 要介護認定の通知が届いてから、自宅から近い居宅介護支援事業者へ電話をかけた。母の病名や病歴などをくわしく話した上で、ケアマネージャーを捜していると告げた。その際、母のようなケースを扱える人を希望した。返事は、後日もらうことになった。
 数日後、引き受けてくれるとの返答があり、担当のケアマネージャーとの面談の日取りを決めた。
 面談日には、母も同席し、母の様子をみながら、ケアマネージャーとどのような目的で、どのようなサービスをうけるのかを相談した。
 母の場合、病気のほうは、以前よりも大分安定しているが、自分から運動をしたり、なにかをするということはできず、一日ほとんど家の中で過ごしているため、足腰がどんどん弱くなっていた。また、家族以外の人間との接触がほとんどないため、社会性も失われていた。薬で、ある程度よくなっていても、このままでは、また病気が悪くなる可能性もある。
 介護保険の利用を勧めてくれた主治医も、症状が軽くなっているときだからこそ、このままにしないで、生活の中であたらしい刺激をあたえるのがよいとの考えだった。
 一番いいのは、ディケアへいけることだが、これは母にはむりであった。人の集まるところは、昔から苦手であるうえに、へたをすると幻聴や妄想がひどくなる可能性がある。
 まずは、ヘルパーに来てもらい、体を動かすことや、コミニュケーションなどを通して、現況を改善していこうということになった。
 だが、介護保険には、いろいろと制約もあり、「運動させる」という目的では利用できない。そこで、いっしょに部屋の掃除をする。近くまで買い物に付き添ってもらうという形をとることなした。そして、慣れたら、距離を延ばすことも考えていた。
 母は、介護保険の利用については、とくに反対はせず、ケアマネージャーとも愛想よくしていたので、以前よりも大分人見知りしなくなった点、少し期待できた。
 
 

一年前までは

 30代にこの病になった母は、数年ごとに入退院の繰り返しをしてきました。
 一年前は、飲んでいた薬の副作用で、手足は震え、物忘れ、幻聴などの症状はあったものの、定期的に通院をしていました。しかし、年をとるにつれ、副作用が強く出てきて、いつも不調を訴えていました。
 母は、抗精神病薬を飲んでいましたが、この薬は種類がたいへん多く、また、同じ薬を服用していても、その副作用は個人差がかなりあり、そのひとにとって一番よいものをみつけることはきわめて困難でした。ましてや、中断すると禁断症状があらわれるため、薬を切り替えるのさえ、リスクをともなうため、医師もあまりしたがらず、同じ処方での量の調整をするという方法が一般的でした。
 母は、薬を飲んでいても、ある程度の幻聴はあるし、妄想もあります。夜も、睡眠薬を飲んでいても、効かないことがありました。
 それが、ついに限界に達したのが、一年ほど前です。「この薬を飲んだら、死んでしまう」と言うようになり、ついに服用を拒否しました。
 そうなると、昼も夜も幻聴に悩まされ、食事もままならず、風呂へも入れず、肉体が疲れてしまうまで眠れません。私たち家族も、毎日の母の有様に「病院へいこう」と説得しましたが、だめでした。
 6日目、この状態からやっと、本人もつらさに負けて、病院へいってくれたときには、私も疲れ果てていました。
 その後、運よく別の薬に変えたところ、副作用も軽くなり、薬への不信感も消え、いまでは、自分から進んで薬の服用をするようにまで回復しました。
 
 

ちょっと一息つきたい時

 母は、75才、精神障害者です。最近は、足腰も弱くなり、このままだと寝たきりになるので、少しでも予防できたらと介護保険を利用しています。
 しかし、介護ヘルパーの研修も、精神障害者に対しての特別なものはなく、利用する前から不安でした。保健所をはじめ、関係機関の窓口にもその点を相談しましたが、「認知症の患者の研修はしているので、大丈夫なのではないか」という回答が多く、思い切って介護保険の申請をし、二ヶ月前からヘルパーさんにも毎週二回訪問してもらってます。
 はじめてみると、やはり「精神障害者」の病気の知識はほとんどなく、扱い方など細かくこちらが指示しても、習い覚えた自己流のやり方を優先してしまうことが多くありました。
 今、病気のほうは薬がよく効いて、あまりひどい症状はでていないので、外見はふつうのおばあさんです。でも、中身はまったく違うので、対応を間違えると、病気を悪化しかねないリスクもあるということが、どうしてもわかってもらえません。
 正直いって、介護保険制度も、こうした病気の人も設定して、しっかりとしたケアができないと、利用するほうが苦労します。
 まだ、毎日いろいろと問題を抱えていて、私も、すこし休憩できるスペースがほしくなって、ここをオープンしました。