はじめてのディサービス

 昨日は、母にとっては、はじめてのディサービスだった。 
 感想を聞くと、「楽しかった。お菓子を食べた。」というのが第一声。次いで「お昼には、食事のあと、お菓子とお茶が出て、三時にもお菓子が出たの」という。お菓子が大好きなのだ。
 「ほかは?体操とか歌はうたった?」と聞くと、
 「そういえば、体操したわね。歌は、みんながうたったけど、私はうたったかな?」ちょっと印象がうすいらしい。
 連絡帳も「お食事は、全部平らげました」と書いてあった。母らしい。
 でも、とてもいい表情をしていて、「よかった」というので、これからも行くだろう。
 
 

床ずれよくなる

 床ずれの治療に一ヶ月半はかかったが、今日、先生が「もう、訪問看護の必要もないし、来週一回来てください」と言われた。
 毎日、一回軟膏をぬって、私が手当てをすればよいとのこと。
 内科の先生は、「栄養状態にも左右されますから、気をつけてあげてください」と言っていた。
 精神科の先生は、「陰性症状がつよく、家にひきこもり、ねてばかり」がよくないとの見解。
 おそらく、これらを改善するには、ディサービスを利用するという方法がベストかもしれないと思った。
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ヘルパーさんが変わると

今月から、ヘルパーさんが変わった。十数年ぐらい経験のあるベテランの方である。
 ところが、やはり、前の時と同じで、ヘルパーさんに甘えて、体の調子が悪いだの、手がしびれるだのと言い、いっしょに外を歩くのをしないで、掃除も買い物を全部やってもらったらしい。
 ヘルパーさんは、母の真に迫る演技に本当に心から心配していた。連絡帳を読んで、やはり繰り返すのかと思った。前任者は、先週いっしょに来て、すべて伝えたはずである、連絡が悪いということではない。ちなみに、当日の午後、訪問看護の看護士さんのまえでは、とても元気で、歌までうたっていた。
 母なりに、試しているのだ。この人は、どう出るか。
 前任者も、同じ目にあったが、うまく母を誘導して、いっしょに掃除も、外出もできた。
 今回も、新しいヘルパーが母について、うまく対応できるまで、時間が必要らしい。
 
 

ディサービスの見学

 昨日午後、母とディサービスの見学に行った。職員が車で送り迎えをしてくれ、家からは車で5分のところにあるので、とても便利だ。
 母と話をすると、本人も「歩けない」というのは、自信がないということから来るということがわかったし、よくなりたいという気持ちはあるようなので、見学をしに行ったのだ。
 そこでは、ちょうど数人のグループに別れ、ぬり絵をするところであった。母も、そこに入れてもらい、ニ時間ぐらい、節分の鬼の絵に色鉛筆で色づけしていた。
 もう、こうした作業は、10年近くしていないので、はじめは、「やるかな」とか「帰る」とかいうのではと思っていたら、意外ともくもくとやっていた。その間、私は、職員の方や、ケアマネといろいろな話をして、施設の中の見学や、説明を受けていた。3時のおやつまで、いただいて、母は、上機嫌だった。
 雪どけで、外は風が強く、残念ながら室内での活動だけだったが、天気の良い日は、そばを川が流れて、とてもいい環境である。
  来週から、週一回通うことになった。続くことを祈る。
 
 

「歩けない」というが

 母は、足腰が弱くなっていても、毎日家から歩いて200メートルのコンビニまで一人で買い物には、行ける。足の病気などはないし、副作用でふるえることもない。いつもは、間食はしないが、たまに欲求があると、二回ぐらいコンビニまで自分で往復する。
 ところが、「陰性」となると、これまでできたことも、できないという。しかも、登校拒否のこどものように、ほんとうに足をふるわせ、 「足がふらふらで、歩けない」という。しかし、朝は、きちんと決まった時間に起きて、部屋のシャッターももちあげ、カーテンをあけ、パンをトースターで焼いて、牛乳をレンジであたためて、食べられるのだ。風呂にも、ひとりで入れるし、トイレもいける。
 一日の様子を見ている家族ならば、これは、心の病のせいだとわかる。しかし、一時間しかいないヘルパーは、私の話を信じなかった。目の前のあわれな老人は、「歩けない」というし、顔色もわるそうだ。家族のいうことが、ほんとうとは思えない。それで、かわりに、なんでもしてあげる。
 ふつうの方ならば、このヘルパーの判断が正しいのかもしれないし、そういう研修をうけたのかもしれない。あくまで、身体介助という視点では、正しい。
 だから、私は、根気づよく、ヘルパーに一日の様子を伝えたり、病気について、何度も話をした。そのうち、すこしずつ理解は、してくれたが、このような「歩けない」という人を歩かせるのは、体の介助よりも、ある意味で大変なのだ。 だから、このような心身介助ができないヘルパーがいても、ちっとも不思議ではないと思っている。
 今、足腰の機能訓練のために、ディサービスの利用も検討している。うまくいくかどうかは、母次第であるが。
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薬がかわると

 先日、精神科の主治医が、母の便秘薬を変えた。以前のは、すこし効き目が強いので、体のことを考えて、ゆるめのに切り替えた。これまでの錠剤から粉薬になった。
 薬がかわると、本人は、かならず心理的な拒否反応をおこす。今回も、薬局でも、全部出して、ひとつひとつ説明し、納得していたのに、家にかえると「薬がすりちがえられた」と言い出す。私が、薬局からいっしょに付き添い、寄り道もせずに帰ったでしょといっても、だめだ。
 「薬をのむなと聞こえてくるの?」と母に聞くと、うなづいた。こうなると、時間がかかる。
 幸い、精神科の薬ではないため、症状にすぐに影響はないし、万一にそなえて、いままでの便秘薬ももらってある。どうしても、いやならもとの薬にするしかない。
 「今日、看護士さんがくるから、聞いてみようか」というと、うなづいた。そして、それから、母は幻聴と戦っていたらしい。10分して、「薬をのむ」と言い出した。
 こんな話を、理解してくれるヘルパーがいれば、どんなに家族として、精神的に楽か。
 先日、 「1級だからよい、3級はだめか」というコメントがよせられたが、1級のヘルパーがいいとか、ほかはだめという単純な問題ではないのだ。たまたま、うちでは、そうだったという話である。
 精神科の医師でさえ、あたらしい患者のことを、理解するのに、時間がかかるのに、私がそんなこともわからずに、ヘルパーを差別するわけがない。
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精神障害者ホームヘルパーを介護保険でも

 先日、全国精神障害者家族会発行の月刊誌「ぜんかれん」に、ある精神障害者ホームヘルパーの手記があった。この方は、「ヘルパーが手や口を出しすぎて、自立を妨げないように、できるだけ本人の自己決定を尊重するように」心がけているという。ご自分も、統合失調症という立場で、経験を生かしてのヘルプの仕方に、これこそ我が家に必要なヘルパーなのだと思った。
 今、我が家に去年7月から来てもらっているヘルパーは、介護ヘルパーなのだが、母の病気について、いくら説明しても理解が得られなかった。たとえば、母の場合、なにもやる気が起きなくなり、マイナス思考になるときがあるが、そのときでも、なるべくいろいろと話をして、気分を変えさせて、いっしょにできることはやらせることが、本人のためなのである。それを「かわいそうだ」といって、すべてヘルプしてしまう。私は、その都度、これではかえって症状が悪くなると言っても、理解されない。
 先月、もうひとりの1級ヘルパーの人に入ってもらい、その接し方のあまりにも違うことに、毎回驚かされた。1級ヘルパーは、病気を理解し、根気づよく、母の気分をほぐして、うまく対応してくれている。
 介護保険でも、できれば、母のような精神障害者の場合は、それに対応できるヘルパーの利用ができるようにしてもらえれば、家族の負担が軽減されるのにと思った。
 
 

正月の母は

 毎年、正月には、妹も我が家に集い、決まっていっしょに「家族写真」を撮り、おしゃべりをして、お菓子と紅茶を楽しむ。
 去年の正月の母は、妹が訪問すると、部屋から出てきたものの、写真をとり、その後は、ときどき、幻聴が聞こえるのか、ぶつぶつといい出したりしていた。
 いっしょに、お菓子を食べて、紅茶を飲むと、すこし娘たちの話を聞いてはいたが、すぐにまた自分の世界に入ってしまった。
 今年は、妹が来て、帰るまでの3時間の間、ずっとそばにいて、耳が遠いものの、視線はいつもこちらを向いていた。表情もあり、一度もぶつぶつと自分の世界に入ることもなくなっていた。
 精神病の方は、確かによくなっているのだと、妹とふたり確信した。ヘルパーさんたちのおかげかもしれない。