自分の世界にいる母


 母が、精神病を発病したのは、私がまだ幼稚園児のころだったという。ある日、母は車に乗って行って、帰ってこなかった。それで、留守の間、母方の祖父が私をなだめるのがたいへんだったという。
 それから、しばらくして、母は帰ってきて、ふつうの生活が続いた。しかし、妹を生んでから、また入院した。そのころ、私は、母が病気で病院にいることは、理解できたらしい。ときどき、父と見舞いにいくのが、楽しみだった。
 小学校に入っても、2年か3年周期で、入院することがあった。もちろん、通院は、続けていたが、再発することが多かった。
 しかし、私も妹もだんだん慣れて、ごくふつうのことのように受け止めていた。
 母が、暴れたり、警察のお世話になったのは、高校にはいってからで、父がかわいそうだったし、母は、自分の世界に入っていて、「どうして」と聞いても、答えてくれなかったのが、悲しかった。
 正直、やはり、そのころは、思春期なので、私なりに、悩んだ。
 大人になっても、私に、いつも、母を理解したいという気持ちと、なぜ、家族に心を打ち明けてくれないのかという気持ちと、言葉ではいえない複雑な気持ちを持ち続けている。
 同居したのは、母が10年前に、また、警察のお世話になってからだ。しかも、自分の貴金属類や貯金をすべておろして、近所やあちこち歩いて、捨てたのだ。
 本人も、「自分がこわいから、管理して」と言ったので、同居した。それから、二回入院し、現在にいたっている。
 
 

母の難聴テスト

 10年ほど前から母の聴力は、落ちてきて、補聴器も作ったが、使いたがらず、毎日接している家族は、時々困ることがしばしばあった。
 実際は、内容がよく聞こえていないのに、「わかった」というので、あとで「知らない。聞いてない」といわれると、困ることがある。どうでもいい内容ならばいいが、医師からの指示や薬の説明など、重要事項は間違いではすまないからだ。
 それで、いまでは、重要事項の説明は、かならずホワイトボードを使って話す。
 しかし、いつもいつもホワイトボードを持ち歩くわけにもいかない。
 今朝、ちょっと母の聴力のテストをしてみた。
 まず、母の正面から「聞こえる?」
 すると、「聞こえる」との返事。
 「なんて言っているか、言ってみて」といった。母は、首をかしげて、「よく、わからない」という。つまり、私がなにか声を出しているのは、聞こえるが、内容までは、はっきりしないというのだ。
 つぎに、聞こえない左耳の方から、同じ質問をだすと、「ぜんぜん、わからない」という。
 比較的良好な右耳の近くから、同じ質問をすると、すぐに返事があった。
 「なんて言っているかって、聞いてるんでしょ」そのあと、右耳からの距離を変え、声の大きさも変えてテストした。それで、右耳の近くならば、このぐらいの声の大きさで聞こえるということがはっきりした。
 でも、それも、毎日同じではないようだし、朝と夕方では、聞こえ方も少し違うらしい。それから、「聞こう」という意識があるかどうかで、違う。相手にも、よる。
 今のところ、困ったことは、母は聞こえる右耳を相手に向けないので、知らない人との会話ができないことだ。私は、なんどもそのことは言っているが、どうも人と積極的に会話したいという意識が薄いらしい。それと、すぐに忘れるらしい。
 したがって、通院時には、私は母の「通訳」という立場で同行している。
 
 

床ずれ、やっと治った


 ほんとに、床ずれが完治するまで、けっこう時間がかかることが、よくわかった。
 去年の12月から治療をはじめ、週3回の訪問看護での手当てと、通院をして、やっと先月半ばからは、家での手当てと週1回の通院となったのに、そこから、まさか一ヶ月もかかるとは。
 通院すると、毎回、先生は、皮膚の上にできた「かさぶた」をきれいにピンセントではがすのです。それ以外、なにもしません。でも、こうして皮膚は、どんどん下から新しく皮膚を生成していくのです。
 私は、せっかく「かさぶた」ができたのに、はがすから、また一週間かかるので、このまま、ずっとエンドレスに続いていくのではと、内心心配してました。
 一方、母は、お尻が見えないし、ぜんぜん痛みもないし、「先生は、なにもしてないよ」というので、私が証人となって、毎回、こうこうと説明します。でも、半信半疑のようでした。
 昨日、風呂あがりに、手当てしていると、素人の私が見ても、ほんとにきれいになっていました。「これは、期待できるぞ」と思っていたら、今日、先生から「もう、いいですよ」とのお言葉があり、感激。
 でも、母は、すこし、にこっとしただけでした。わかっているといいけど。
 
 

オリンピック、どこでやってるの


 先日、ふたりでリビングに並んで坐っていたとき、母は突然「オリンピック、どこでやってるの」と私に聞いてきた。
 ここ数年、世間でどんなことがあっても、関心がなく、話題にもしない母のこの一言に、妙な感激を覚えた。
 「イタリアだよ。高い山に近いところでね。」といった。トリノなんていっても通じないので。
 「イタリアね」とわかったという風なそぶりをみせた。
 「でも、なにで知ったの?」と聞くと、
 「この間ね、テレビに映ってたから」テレビも耳が遠いので、ほとんど見ないけど、たまたま目に入り、覚えていたらしい。
 ふつうの家庭では、なんのことはないだろうが、こういう会話を何年もしたことがないので、やはり印象深い。
 
 

けんか相手にならない

 私は、夫に言わせると「瞬間湯沸かし器」だそうである。
 何に対しても、熱が入りすぎるらしい。また、特にほかにいろいろと用事をかかえていたり、ストレスで疲れていると、短気になる。
 私が、母とぶつかるのは、記憶があいまいとか、なにかを忘れたからというよりも、例のへんな「こだわり」のためが多い。
 たとえば、便秘薬にしても、いちおう、毎日夜、就寝時に飲むようになっているが、昼間、下痢したのに、「先生からもらった薬は、絶対飲む」といって聞かない。「下痢しているのに、下剤を飲む人がいるの?普段便秘だから、先生が出してくれているよ。下痢の時に、飲む人はいないでしょ。」「でも、飲みます。」「体に悪いことをなぜするのよ。バカ」という調子で大げんかする。
 夫は、最後に母に「娘のいうことをきけよ」とひと言いうと、なぜか婿さんを立ててうなづく。
 このほか、妄想で「私の下着がなくなった」といって、私に罪をなすりつけるときなど、こっちも疲れているのに、かまっていられない。でも、しつこい。それで、ケンカする。夫がいなければ、私が二階に姿を消すと、しばらくして、母は、もうすっかり忘れている。
 ただ、最近は、看護士さんがいて、薬のことを説明してくれるし、へんな妄想もすくなくなった。それと、母は、けんかしても、ストレスにならないらしく、すぐに忘れる。(精神安定剤のおかげか?)私のほうが、けんかするとあと味が悪い。自己嫌悪に陥るので、なるべく、母とは、けんかしないようにしている。
 最近は、このような時は、ホワイトボードに書いて、会話すると、わりと冷静でいられるので、そうしている。 
 
 

母のこだわり

 これは、本人に言わせると「そう言われた」ということだ。私に言わせると、幻聴だろうということ。
 二年前まで、朝は、8時すぎに、夜は、8時半までに薬を飲まなくてはいけないと、母は、守りとおした。これは、入院時の服薬の時間を守っていたらしい。
 薬は、朝は「食後」、夜は、「就寝前」の服薬と書いてある。
 今、母は、朝は、食後5分、夜は、食後15分に飲むと決め、時計をにらみながら、一分でも違ったらいけないと守っている。いくら私が、「先生は、そんなこと言ってないでしょ」といってもだめだ。
 そももそ、朝は、一年前までは、15分後にしていたのに、いつの間にか、「5分でいいの」と自分で新ルールを作ったのに、それも、自分が決めたというよりも、「言われた」という。
 はじめのころは、私も、世間一般常識にのっとって、母を説得しょうとしたが、「べつに命に別状はないし」と黙認している。
 ただ、時計を見て、スタートの時間をすぐに忘れ、20分たっても、「あと15分ね」といい、30分しても「あと5分かな」という調子なので、ときどきいらいらする。あんまり母の調子に合わせていられない場合は、はじめに見た時刻を本人に言ってもらい、目の前で、ホワイトボードに書き入れると、ちゃんと15分足して、薬を飲めるので、「まだまだ頭はいいな」と妙に感心してしまうのである。今では、これも頭の運動になるので、続けてもいいなとひそかに思っている。


 
 

母のゴールデンタイム

 母は、一日の中で「ゴールデンタイム」というのを持っている。
 その時間帯は、別人のように頭の回転がよくなり、したがってとても物分りがよい。その上、いちばん前向きの考えになるのだ。
 逆に、ワーストタイムは、朝である。起きてからしばらくは、髪もぼさぼさ、別人のようにボケーとしていて、表情もなく、朝食も機械的に口に運んでいるだけである。しかも、天気がよかろうが、悪かろうが関心なし。家族がいっしょに食事していても、視線には入ってない。声をかけても、聞いているのかいないのか、確認のために何度も話さないといけない。大体、朝食後は、すぐに部屋にもどって、昼まで寝る。  
 今日は、また寒くなり、雨が降っていたので、やはり、午前中、近くの診療所に床ずれの治療には、「いけない」と言った。私は、すぐに午後の「ゴールデンタイム」がいいと思った。
 果たして、午後3時、母に「4時からだから、行ってね」というと、「はぁ、わかった」とのこと。すんなりと事が運んだ。
 それにしても、やはり、春が待ち遠しいなぁ。



 
 

冬眠から覚めたのかな

 月曜日、母はいつも朝起こさないと起きなかったのに、自分で起きてきた。そして、ディサービスのお迎えの車が来るまで、「体が動かない」などと一言も言わず、待っていた。
 当日、とても楽しそうな顔で帰ってきて、どうやら「棒体操」と「食事」が気にいったらしく、楽しそうに話した。これは、いい兆候だなと思っていたが、あまり期待するとがっくりするので、やめておいた。
 昨日、いままで9時に起きていたのに、8時すぎに、自発的に起きた。日中も、少しリビングに坐っていた。
 今日は、やはり8時すぎに起きて、元気そのもの。もちろん、午前中は、ご飯のあと又寝たが、11時にヘルパーさんがくると、元気に起きて、外をいっしょに歩く。夕方、訪問看護の看護士さんとも、外を散歩した。先週は、拒んだのに。
 「冬眠から覚めたのかもね」と私は、ひそかに期待している。明日から、また寒くなるけど、このままいけばいいな。



 
 

母と歩行練習をしてみる

 どうも、母はすこし歩き方を忘れているらしい。歩くときに、ふらふらするのは、背が曲がっていて、地面ばかり見ていること、つま先から着地して、歩幅が広く、まるで小走りしているように歩くのだ。
 朝、室内で、まず、両手を後ろに組んで、背筋をすこしまっすぐにして、かかとから着地して、歩幅はむりなく、ゆっくりと歩く練習をさせた。
 私が10年間やっている太極拳の歩き方からヒントを得て、考えみた。
 とはいえ、なかなか、これまでのぴょんぴょんとした歩き方は、改められない。時間は、かかりそうだ。
 数分間、練習すると、とても、安定した歩きにかわり、「上手だね」と声をかけるが、ややもすると、歩幅が広くなり、また、ふらつく。
 もしかすると、本人は、まだ若いころの自分のつもりでいるのかな。
 ディサービスの所のことも、「ああ、老人たちが集まっている所ね」と言ってたので、精神科の主治医も笑っていたっけ。母は、「老人たち」ではないらしい。
 
 

ストレスで私も下痢

 母と同居して10年、私は、過敏性腸症候群になり、ストレスが続くと、下痢となる。
 最近は、介護保険を利用しているため、以前よりも負担はかるくなりつつあり、やっとひどい症状から解放されていた。
 しかし、どうも、去年の暮れからの母の床ずれや、それに続くもろもろのことで、ストレスがたまり、先週あたりから、とても疲れを感じていた。下痢でないが、軟便の回数が増えていた。
 昨日、母の通院に付き添い、戻ってくると、昼にひどい下痢を数回起こし、午後は、寝込んでしまった。
 今日は、ようやくすこし回復したが、まだ下痢は続いている。 もう、こうなると、これ以上むりしたらいけないので、なるべく、手をぬくようにしないといけない。体が「休め」と言っているのだから。
 しかし、母は娘のこんな様子にも、一言もない。
 
 

朝は起こさないと

 先月中旬から、それまで朝は7時から8時にきちんと起きて、ひとりで朝食を食べていたのに、急に9時になり、ついに最近母は、毎朝起こさないと起きなくなりました。
 寒いからと思ってますが、すこし「陰性」症状が強くなりだしたようです。起こすのに、声かけだけでよかったのが、着替えの手伝いをしないと体を動かそうとしなかったりと、しだいにひどくなります。
 先日、二度目のディサービスへいく日も、起こすのがたいへんでした。その後、支度して、迎えを待つ間も、なんどもぐずぐずといっていました。
 ところが、迎えがくると、ほかの人たちの手前、さっさと車に自分から乗り込み、何事もなかったのです。夕方、帰った母は、「よかった」ととてもご機嫌でした。
 みんなと体操や、食事も全部平らげて、自分がみんなと比べてそんなに悪くないと思ったようです。
 でも、まだ翌日からは、朝は、自立できてませんが。