洗濯物はなかなか出さない

  母は、若いときから、洗濯はあまり好きなほうではなかった。私が子供のころ、洗濯物をかごに入れると、いちいちチェックして「まだ、きれいだから」と差し戻されることがしばしばあった。それが、下着の場合もあって、さすがに「毎日一枚しか出してないんだから、洗ってよ」と妹と抗議したことがある。
 年をとるにつれ、その傾向が強くなり、ひとりで暮らしていた頃も、たまに実家にいくと、洗濯されずに、放置されたままの衣類があちこちにあって、たまに私たちが手伝って洗濯していた。
 同居してから、私が洗濯するといっても、洗濯ものを出さない。さすがに、下着のパンツだけは、毎日か一日おきに出すが、あとは、一週間でも平気で着ている。さらに、手洗いのセーターは、冬の間、ずっとそのままでも平気。私が「洗うから」とむりやり、とりあげないと、洗わせてくれない。
 本人にすれば、「まだ、きれいだから。」の一言なのだ。どのぐらいの期間、着ているかも覚えてないらしい。
 あまり、こちらが管理したくはなかったが、今では、定期的に、私が母の衣類を洗濯している。そのため、いちいちこの服は、どのぐらい着ているかも覚えておかなければならないので、確かに手間だが、仕方ない。
 ただ、夏は、汗をかくので、そのときだけは、Tシャツも下着も、わりとひんぱんに出している。
 この病気の人は、若い人でも、部屋の整理整頓や洗濯などは、苦手なひとが多いので、仕方ないとあきらめている。
 
 

通院日(4/26)

 今日は、月一度の精神科の通院日、母は朝5時に目覚め、トイレに行った。私も、その音で目が覚めた。「今日は、いつもよりも早く起きるな」と思った。
 はたして、予想どおり、6時半には起きて、顔を洗って、そのあと、もう自分でパンと牛乳で朝食を食べはじめた。「7時でいいのに」といいつつ、私もつられて起きた。
 朝食後、母は薬を飲み忘れ、もう髪をといて、着替えもすませていた。「薬、忘れているわよ」といって、母に薬を飲ませる。
 7時に起きて、朝食をゆっくりと食べても、十分に間に合うのに、母が元気なときは、なんかせかされているようで、ペースが狂う。
 私は、朝食のあと、家事をすこし片付け、支度をして、8時にタクシーを呼んだ。
 今日は、晴れていたので、3分も待たなかった。
 母と、病院に着いたのは、8時20分。診察ができたのは、10時45分すぎ、ラッキーでした。最近は、待ち時間が短いほうだ。以前は、あと一時間は待つ必要があった。
 先生が、「調子は、どうですか」と聞くと、
 「同じです」と母は、答える。あとは、私が最近、歩く距離は延びたけれど、相変わらず、寝てばかりですと報告する。「ディサービスは、きちんといっているし、いいですね。」と先生は、言った。突然、
 「老人ホームに行ってます」と、母は言い出した。私たちのやりとりがよく聞こえないが、なにかいいたかったらしい。ディサービスは、母の言葉では「老人ホーム」なのだ。
  あとは、いつもの薬をもらって、帰宅した。
  午後、訪問看護があった。看護士さんに床ずれのところを診てもらうと、また血がにじんでいた。このごろ、また上向いて寝ているからだ。薬をぬって、手当てしてもらう。
しばらく、母は横向いて寝ていてくれるだろう。
  先週は、元気だったが、今週は、「また、前がかみにふらふらと歩くようになってますね」とのこと。今日、一緒に歩いていて、バランスが確かに悪いと私も思った。一進一退なんだなと思った。
  でも、二年前は、サポートがまったくなかったのだから、今は楽だと思う。
 
 

ディサービス記(4/24)

 朝は、いつもどおりひとりで起きたし、朝食もきちんと食べてたので、私はすっかり安心モードでいた。気がつくと、食後の薬を飲み忘れていたので、「薬、忘れてるよ」というと、母は元気のない暗い表情で、のそのそと薬をもって、台所へ行く。
 それをみて、「うつ」モードだなと気づいた。しかし、母はディサービスを楽しみにしているのは、前日連絡帳を渡したりしたときの様子でわかっていたので、この程度ならば、背中をぽんと一押しすれば大丈夫だと思った。
 母は薬を飲み終えて、「行けるかしら」と私に語りかけた。
 「大丈夫よ」といって、「着替えないの」と聞くと、普段着のままでいいと言い出す。服を選ぶ元気はないみたいだ。服を選んで、あとは母に任せることにした。あまり、しつこくすると、「こちらがディーサービスに行かせようとしている」と受け止め、かえってやる気をなくす恐れがあるからだ。
 30分ほど、家事をしてから、また母の様子を見に行った。
 すっかり、着替えを済ませ、髪もといて、コートまで着ていた。そのうえ、連絡帳と上履きの入った手提げ袋を玄関近くに置いて、靴まできちんとそろえていた。
 車がくるまで、いつもよりも、暗い表情をして、黙ったまま、坐っていたが、迎えの車がくると、私よりも先に玄関を出た。
 もちろん、帰ってきたときは、いつもどおり、にこにこばあさんに変身していた。
 
 

歩ける距離がどんどん伸びた

 先週、看護士さんが、訪問されたとき、いつもどおり、母を外に連れ出して、散歩をしてくださいました。
 散歩からもどると、看護士さんは、「今日は、小学校のまわりをぐるっと一周しました。」といいました。ざっと、400メートルぐらいです。母は、去年からヘルパーさんと近くのコンビニまで往復するのがやっとで、約200メートルぐらい。それも、疲れたと言っては休み、また歩いて休みという感じでした。ヘルパーさんとは、半年間週二回そうしてきたのに、ちっとも改善せず、私もあきらめていました。
 ところが、看護士さんと散歩するようになって、たった一ヶ月で、距離が伸びはじめました。
 「疲れたとも言いませんでしたよ」とのこと。
 そして、今週は、もっとびっくり。家の近くに坂があり、私が歩いても、すこしきつい坂です。それを看護士さんと、登ったとのこと。
 「ほんとですか?途中までじゃなくて、上まで歩いたんですか?」母が、坂道を歩けたのは、10前までだったので、にわかに信じられませんでした。
 それも、看護士さんが強要したわけでもないのに、最後まで挑戦したので、私も、あとで、「すごいね。よかったね」と母をほめました。
 母が自信つけたのは、ディサービスでの体操もあるかもしれません。
 看護士さんには、ほんとに感謝です。
 
 

母と婿さんの関係

 私たちは、二人とも晩婚で、結婚したのは、約10年前です。
 母は、娘がいつまでも結婚しないので、それなりに心配していたようです。父がなくなり、妹と三人の女所帯となってからは、なおさらのことでした。
 縁あってだんなとめぐり合い、はじめて彼が母に挨拶に来たとき、母は精神病のほうが思わしくなかったのですが、とてもにこにこと応対していました。
 それで、ふたりの印象は、とてもベストだったのです。
 その後、同居しょうと決めたとき、私よりもだんなのほうが積極的でした。
 もちろん、実際同居したあと、母は二度入院し、母の病状の最悪の状態を体験したあとは、さすがにだんなは自分の考えは甘かったと悟りましたが。
 母は、終始私には、きついことを言ったり、聞き分けがないことはあるのですが、だんなが一言いうと、素直に従いました。そして、「仕事に行きなはったの?」とか、「もう、お食事は済みなはった?」と京都弁で丁寧な表現で言います。私には、そんな言葉づかいは、いたしません。朝、どんなに気分が悪いときも、母はだんなには「おはようございます」と言います。
 だんなが今困っているのは、母が無造作に部屋をあけたまま、着替えたりするのは困るなぁということと、たんなが風呂からあがってまだ裸なのに、洗面所のドアをいきなり開けてしまうことです。(今は、かならずロックしてますが。)
 「おれが、男なんだってことわかっていないのかな」というのが、だんなの悩みです。
 母は、いまだに部屋をあけたまま、半裸の姿をさらしています。「娘と婿は、ちがうんだよ」と言ってるんですけど。
 
 

ディサービス記(4/17)

 今日も母は、7時半に起床し、食事、服薬のあと、自分の部屋で着替え、髪をとかし、9時50分ごろにくる予定の迎えの車をひたすら待っていた。
 私が予定時間の20分前に、母の部屋をのぞくと、コートをはおり、庭に面した窓の前に向かって立っていた。その後ろ姿は、ちょっとかわいかった。
 だいたい予定時間に向かえの車がくると、ほんとにうれしそうに出かけていった。
 母がでかけると、私は、母の部屋の掃除をする。大掃除まではいかないが、2月から毎週、かなり念入りにやっている。
 というのも、母は掃除をさせてくれなかったからだ。私が掃除するというと、必ず「この前、やったばかりだから、きれいよ」という。やっと、許しがでても、手早くやらないと、また「そんなにしなくても、きれいよ」という。
 かくして、ここ数年、押入れの中の片付けや、ダンボールの中の整理、衣装たんすの中の整理、机の上の物の整理がほとんどできなかった。母が、部屋を空けることがほとんどなかったからだ。
 それで、母がディサービスに通いだしてから、毎週たっぷりと好きなだけ掃除ができ、いまでは、すっきりと部屋も片付き、私はとても満足している。
 母は、あまり整理整頓に関心がないので、そういう細かな変化には気づいてなさそうだ。
 ヘルパーさんができる掃除の範囲というのは、決まっているので、やはり自分やるほうが徹底できるのでいい。
 
 

参考になった本から

 PHPエル新書の「大切な人が心の病気にかかったら」(レベッカ・ウーリス 酒井泰介訳)は、アメリカ人の書いた本ですが、対処方法がとても具体的で参考になりました。
 特に、母の病状が最悪のとき、毎日どう対処したらいいのかわからず、不安の日々をすごしていたときに、患者と自分たち家族の関係について、気持ちの整理が出来、とても役立ちました。一部日本の精神医療の現場の事情とは、かみあわない部分がありますが、「愛情をこめて距離をおく」という言葉が一番印象に残ってます。
 幻覚や妄想への応じ方で特に注意すべきなのは、次の二つ。第一は、彼らが耳にし、目にし、嗅ぎ、感じ、信じていることは、私たちが知覚できなくても、彼らにとっては確かな事実ということを忘れないこと。そうした経験を見くびったり、バカにしたりすると、信用を失うだけのこと。
 第二は、とても快く楽しいことから恐ろしいことまで、幻想や妄想には様々な感情が伴うので病人が誤って信じ込んでいることや妄想の内容そのものよりも、相手の感情的状態に応じてやることの方が重要だということ。だから、そんなことはないのだと議論するよりもどうすれば安心できるかと聞いてあげることが大切。
 それまでは、母の幻聴や妄想については、否定して、ただ議論みたいな言い方や説得をしていました。しかし、母が「だれかが私の悪口を言っている」といったときに、この本を読んでからは、「大丈夫。いっしょに言い返してあげるからね」と母の味方につくようにしたところ、だんだん安心して、そういう妄想が少なくなったことがあります。
 いまでも、「風呂に入るなといわれた」と母が言えば、「今日は、むりしないでいいよ。聞こえてこないときに入ったらいいから」というと、その次の日からは、あまり同じ幻聴がおこりません。
 幻聴も、心のなかの「不安」から作り出されているのではないかなと思います。
 こちらの価値観で見ていては、ぶつかりあうだけで、かえって、事態を悪くするというのは、実践してみてわかったことでした。
 ですから、今ディサービスに通ってますが、もしなにか否定的な幻聴が聞こえたら、迷わず、休ませるという心づもりでいます。むりに通わせて、病気が悪化したら、元も子もありせんから。 
 
 

ディサービス記(4/10)

 母は、すっかり慣れた様子で、朝ひとりで起きて、食事をすませ、着替えたあと、部屋で待っていた。ただその後、少し幻聴があり、ひとりごとをしゃべっていたので、何かさせるほうがいいので、声をかけて、着ていく外套などを出しておくように言った。
 表情は、いつもの朝とかわらず、無表情だが、迎えの時間が近づくと、部屋から出て来て、リビングで待った。ただ、ソファに坐ったままだと、また、自分の世界に入るので、「車がくるから、窓の外を見ててね。」と言って私は、しばらく他の部屋で家事をしていた。
 迎えが来ると、私よりも早く玄関を出ていく。なかなか意欲的だなと思った。
 夕方、帰ってから、いつものように一日の様子を聞く。
 「お昼は、なにを食べたの?」
 「お魚が出た。」というので、「先週と同じね」と聞くと、「ちがうわね。何食べたかな。あ、野菜だった」とのこと。どうして、毎週、まず「魚」というのか、不明。
 午前中の体操も、ちゃんとやったというし、午後は、大正琴の伴奏に合わせて、みんなで歌をうたった。今日は、はっきりと、覚えていた。大正琴の先生は、年上のおじいさんとのこと。
 帰ってくると、私との会話のやりとりも、非常に早くなる。いつもは、返事があいまいだったり、遅かったりしているのに。
 今のところ、この効果は、一日かぎりで、その他の日は、寝てばかりですが。
 
 

統合失調症の主な症状

 主な症状を簡単にまとめたものがあるので、ここでちょっと紹介させていただきます。
 陽性症状
 
妄想や幻覚(幻聴)のほか、会話にまとわりがなくなる思考障害、奇異な行動があらわれる。

 陰性症状 

感情の動きが乏しくなり、周りに対して無関心になるほか、意欲が低下する。

 認知障害

集中力や記憶力、整理能力が低下し、本が読めなかったり、指示どおり行動できない。

   これらは、年齢に関係なく、この病気の特徴です。母の場合は、高齢の上、意欲がなく、寝てばかりなので、体力の衰えや、記憶力の衰えは、避けられないと思います。
   ディサービスの回数を増やしたいとは、思っているものの、それが本人にストレスになり、陽性症状が強くあらわれる可能性もあるので、慎重に今は経過を見ようと思っています。確かに、ディサービスにいくことで、体力もつくし、社会性ももてるので、いいのですが、危険性もあるということを常に頭に入れ、毎回、必ず本人にどんな様子だったか話しを聞くようにしています。もし、悪い兆しがあれば、中止しなければならないので。
 
 

訪問看護記(4/5)

 母は最近、ディサービスへ通うようになってから、精神面ではいい方向にむかっているものの。ディサービスの日以外は、やはり一日部屋にいて、寝ていることが多い。
 寝ている時間は、朝食後から昼まで、約4時間。昼食などをとり、また部屋で夕方まで約4時間。その後、夕食は6時から7時にとり、風呂などに入る。夜は、早くて9時、だいたい10ごろには就寝。一日24時間で、食事、風呂、トイレなどをのぞくと、長いときは、20時間は寝ている。今は、18時間ぐらいか。
 今日も、看護士さんが、床ずれの箇所を診てくれた。やはり、赤くなっていて、すこし出血をしたあとがある。今は、薄皮があるので、血はでていない。先週は、赤みのところが半径3cmぐらい。今日は、5cmとなっている。
 異常な食欲がでてきて、昼はたっぷりと食べているのに、3時には、黙ってコンビニに行って、お稲荷さんやサンドイッチを買ってきて食べることがある。一日のカロリーは、とっくにオーバーしている。ただ、油ものや甘い菓子は、本人が自制しているのが救い。
 今回から体重も計ることになった。本人に認識させることが大切なので。
 血圧、体温、聴診のあと、外が雨のため、室内で体操を30分ぐらいしてくれた。
 看護士さんの帰ったあと、デジカメで本人に床ずれの写真をみせると、さすがに驚いていた。やはり、時々見せないとだめなのか。これで、すこし変わるといいが。
 
 

ディサービス記(4/3)

 三日前、母は自分から進んで近くの美容院に行き、髪をカットして、栗色に染めてきた。三ヶ月ぶりに行ったので、すこしまわりはびっくりした。
 今日も、朝からひとりで起きて、食事して、着替えて、整髪して、向かえがくるのを待っていた。そのうえ、いままであまり着ていく服などを考えなかったのに、今日は、あれこれと選び、何回も着たり脱いだりしていた。そして、ひさしぶりに、クロゼットからは、スプリングコートをだして、着ていった。
 主治医が、いつも患者の状態をみる目安のひとつが、服装だ。母も、精神状態がすごくいいときは、こうして、身なりを整え、服装を選ぶ。だから、私がなにも言ってないのに、自発的に、これらができるというのは、非常にいい兆候なのだ。
 今日、帰ってきてから、今日の出来事を聞いたが、今日は、大正琴をひく人がやってきて、みんなで歌をうたったとのこと。
 ただ、母らしいのは、私に「あれは、買ってほしいから、来たのかしらね」とまじめに聞いてきたこと。ディサービスでそんな商売するはずないのに、母には、なぜ来てくれたのか、不思議でしょうがなかったのかもしれない。
 ともあれ、母が、毎週心から楽しみにしてくれていることが、いちばんだと思った。