[ディサービス記9/25]
今日も母は、いつものようにディサヘビスに出かけて、夕方戻ってきた。
戻ると、いない間に部屋の掃除や整理をしたので、それを伝える。たった、それだけのことだが、明らかに行く前と行った後は、反応が違うことに気づいた。
ディサービスから帰ると、「シーツ取り替えたからね」と一言言うと、母は、すぐにシーツをみて、「ありがとう」。
いつもは、このフレーズを何回か伝えても、シーツをみようともしない。「聞こえないの」と聞いても、返事はない。仕方ないので、ホワイトボードの登場となる。それで、やっと、「ああ、そう」という返事がかえってくる。
この差は、なんだろうかと考えてたが、「耳からの情報」は、本人が単なる「音」でなくて、意味のある言葉としてとらえないと理解できないのだと気づいた。つまり、人の話に耳を傾けようという意思がないと、音は、単なる音なのだ。
ディサービスから帰ってきたとき、母は、最近、必ず、車の中の人たちに振り向いておじぎをしてから、家に入る。手をふってくれる人もいる。以前は、車から降りたら、そのまま振り向かずに、家に入ってた。
きっと、ディサービスでは、他の仲間の話にも耳を傾けているのだろう。たとえ、耳が遠くても、その気持が働くと、意外と、言葉を理解できるようになっていくものなのだ。
自分以外の人たちと、少しずつ、交流をもとうという気持が芽生えたのだと思った。
[クリニックの通院日9/26]
血糖値は、ゆるやかだが、順調に下がっているとのことだった。先生は、「あまり、急激にさがると、目にくるので、今のままがいいですね」とのこと。
ただ、尿を調べると、「塩分を控えたほうがいいですね。」とのこと。少し、腎臓に負担がかかっている数値がでているとのこと。
母の体調は、血糖値をさげる薬を飲んでいるので、良好だ。採血して、また、二週間後ということになった。
母も、なんだが、身体の方も、診てもらって、安心しているようだ。精神的にも、よかったのかもしれない。
[ディサービス記9/18]
ちょうど、敬老の日が母の通所の日だった。
その日の朝は、いつものように自分で全部支度したが、表情はあまりよくなかった。ぼーとしていて、家族とは会話はなし。ただ、行くのをいやがってはいなかった。迎えの車がくると、無言で乗り込んだ。
夕方、いつものように帰ってきた母は、車の中から手をふってくれるおばあさんに対して、何度もふりかえっておじきをして、うちの中に入った。
手提げ袋には、プレゼントが入っていた。かわいい赤いふくろうのマスコットをあしらったリースがひとつと、台紙にディサービスで取った母の写真を貼って「敬老の日 おめでとう」と書いたもの。それから、連絡帳には、午後は大正琴の演奏をしましたと書いてあった。
母は、そのリースがとても気にいって、あれから、何度も手にしては、眺めていた。
なかなか、心のこもったお祝いだなと思った。我が家では、母の好きなものを食べるというのが、お祝いのやり方になっていて、その日は、カロリーとりすぎたかもしれない。
まぁ、たまには、いいかな。
[訪問看護記9/20]
今日は、晴れてさわやかな天気だったので、母の調子もすごくよかった。
昼間、ヘルパーさんが来たときも、積極的にいっしょに掃除を手伝ったという。いちども、「いやだ」とは、言わなかったらしい。
看護士さんとも、元気に挨拶して、そのあと、身体の健康チェックをしてから、近くのコミュニティセンターの図書室に行って、写真本を見てきた。このごろ、台風の接近で天気がわるく、母もあまり元気がなかった。だから、今週も新聞は読まなかったが、やはり、天候が左右するらしい。
看護士さんの話だと、他のお年寄りも、みな、身体の調子が悪いと訴えていたとか。気圧の変化は、母たちには、かなり影響があるものだ。私たちだって、気分が晴れないのだから。
『記憶がウソをつく』養老孟司著を参照
「型が決まると記憶もキマる。たとえば、所作、振る舞いなど。身体に染み込んだ習慣や癖は忘れない。」
このことは、特に母が年をとるにつれ、強く感じる。母を見ていると、我々の生活のルールはなかなか覚えられない。洗濯物を出すという行為だけでも、母は、昔のままの自分の習慣を貫いているように思う。たとえば、何日おきに下着を取り替えるかとか、ほかの服にしてもそうだ。はじめのうちは、私もこちらに合わせて、いろいろと言ってたが、もうあきらめた。そのかわり、何日着ているか忘れていることが多いので、それは、こちらで注意している。「できないこと」というのが、あるのだとこちらが受け入れないと、いけない場合もあるのだと思った。
「五感のうち、視覚、聴覚、触覚は、言語を構成できるが、味覚と臭覚は、言語を構成できない。」
「触覚は、点字が作れる。聴覚は、耳から情報を音声の言語を構成できる。視覚は、目からの情報を文字の言語を構成できる。」
「目は、はっきりしていて、論証がいらなくて、一目でわかる。一目瞭然、説明がいらない。耳は、もう少し深いところで人を動かす。耳は、雑音を消す仕組みをもっている。」
つまり、目から入る情報は、そのままストレートに脳に入るが、耳から情報は、自分で選択して、一部カットして脳に入るという点が違うのだという。
だから、耳の悪い母には、ホワイトボードで複雑で大事な話は説明したりすることにしている。そうすると、耳からだけだと、10回同じ言葉を言っても、まだ理解できないのに、ホワイトボードを兼用すると、二回ぐらいで理解できてしまう。記憶力の低下で、たとえば、薬の服用についても、慣れるまで、色ちがいのホワイトボートに「食前にA薬をのむ」というように示して、置いておくと、間違いがほとんどなかった。
これらのことも、この本に書かれてある脳の仕組みに関係していたのだとあらためて知った。
介護をする側が一番たいへんなのは、やはり、なかなかこちらの言うことが理解してもらえないことと、すぐに忘れてしまうこと。もちろん、ケース・バイ・ケースだが、試してみる価値はあると思った。
それから、耳からの情報は、人の心の深いところに記憶を残すらしく、なつかしい曲を聞くと、記憶が再生されるのは、そのためらしい。だから、音楽療法というのは、確かに理にかなった方法なのだ。
うちに来る看護士さんたちは、どこでも、なるべく、患者さんとは、歌をうたうようにしているという話を聞いたことがある。なるほどだと思った。
『記憶がウソをつく』養老孟司著を参照
この本を読んですごく考え方が変わったのは、脳というものは、ほんとに私たちの想像以上だということだ。
私の母の病気も、脳の神経伝達物質がうまく機能しないために起こる病気だが、まだまだ脳の仕組みというのは、わからない点が多い。
たとえば、この本の中でも、「断片をつないで物語にしないと記憶できない」ということや、「記憶は、すりかえられる」、「目に焼きついた記憶は消えないな」どということについては、いろいろと考えさせられた。
私などは、自分が他の人とかわらない記憶力はまだ持っていると自負している。しかし、いわれてみると、小さい時の記憶というのは、いくつかのシーンが頭に残っていて、いつの間にか、それらをうまくつないで、「思い出」という形で記憶しているように思う。
何年か前に、小学校にあがったころの思い出を文章にしてみたが、自分でも、うまく物語にして書いたなと思った。しかし、よく考えると、真実も入っているが、ところどころは、創作だったのだ。
「目に焼きついた記憶」というのは、私にもいくつかある。恐ろしかったり、悲しかったりした記憶のほうが、今でも、はっきりとその情景が目に浮かぶ。
「記憶は、とにかく、情動によって強化される」という。つまり、嬉しい、楽しい、悲しい、恐ろしいという感情のことだが、特に、強烈なのは、恐ろしい、悲しいという感情らしい。それらの感情が伴う記憶は、目に焼きつくという。
普通、記憶障害というのは、時間とか、場所とか、やるべきこととか、そういう日常的なことが、覚えれなくて、すぐに忘れることをいうが、この本を読んでいくうちに、記憶というのは、もっと深いものだと認識しなければいけないと思った。
母の場合も、記憶がすぽっとぬける落ちている場合があるが、医師がいわれたように「関心が薄いから」というのは、正しい。心に残ることや、情動からくる記憶は、意外と覚えているのではないだろうか。
たとえ、「いついつ、どこで、なにがあった」という部分がはっきりしてなくても、「楽しかった」「嬉しかった」「怖かった」「悲しかった」という漠然としたものは、残っているかもしれない。
だから、母も看護士さんとは、細かいことは、忘れていても、「楽しかった」という記憶があるので、来るとにこにこする。
それから、「脳はかわっている」ということを忘れてはいけないということも書かれてあった。
そう言われてみると、今の私は、母のことで振り回されているが、あと何年かしたら、自分も同じことをしているかもしれないのだ。たとえば、動作がのろのろとしているのをみて、今の自分は、ついていけないなと思っているが、あと何年がしたら、そうは思わなくなるかもしれない。
本にも、書かれているが、一番の間違えは、「まわりが変化している」と思い込んでいることで、本当は、自分の脳が変わっているということに気づかないということらしい。
思いやりという言葉があるが、こうしてみると、自分も、「いつか同じ状態になるのだ」と思っていれば、自然と思いやりは、生まれるような気がした。
[クリニックに通院9/12]
二週間たったので、母とクリニックに行った。前回の血糖値は、やはり少しずつ下がってきているとのこと。ただ、少し膀胱炎の前兆がみられるので、おしっこを我慢せず、水分をとるようにいわれた。
母は、こちらの先生とは、まったく話をしない。先生が、「後ろをむいて」と聴診しょうとしても、反応がおそい。慣れていない先生だとこの調子だ。いつも来る看護士さんとは、にこにこと応じているのに。
だから、私が通訳でいないと、先生は、ちんぷんかんぷんになってしまう。
また、同じ薬をもらい、採血して、二週間後に来ることになった。
[精神科に通院9/13]
先生には、クリニックでの血糖値のデータを書いた糖尿病手帳をみせて、経過を説明した。また、最近は、体の動きもよく、元気で、精神的にも安定していると伝えた。
母は、先生の「こんにちは」という挨拶をうけても、よく聞き取れなかったらしいが、表情は、なごやか。やはり、明らかに、クリニックの先生とは違う。
薬をもらって、一ヶ月後に来ることになった。
[訪問看護記9/13]
午後4時すぎに、雨の中、看護士さんが見えた。
母は、顔を見るなり、満面笑みとなる。しかし、今週も新聞は見なかった。
ただ、そのことを正直に看護士さんに話したというのは、びっくりした。母の場合、心を開いた相手でないと、自分に不利なことを言わないのだ。
素直にしていなかったと認め、「これからは見ます」と答えたそうだ。実行できるかどうかよりも、そういうやりとりができるようになったのは、すばらしいことだと思った。
いつも、看護士さんが帰ったあとの母の目の輝きが違うなと思う。
心の病の人を見たことがある人は、わかると思うが、目つきをみると、その人の病気の度合いがわかるものだ。
良くなってくると、健常者とは区別できない「いい目」をしてくる。
最近の母は、毎日ではないが、やはり、以前よりも、「いい目」をしていると思う。
[ディサービス記9/11]
今日も、自分で支度して、出かけていった母。
帰宅すると、ディサービスからの連絡が入っていた。
6月から、月二回、歯科衛生士さんの指導で、歯磨きをして、口腔機能の訓練などをしてきた成果の報告である。
「口腔清掃は、声がけをし、見守りながら行っています。口腔機能訓練は、左耳より声がけし、(書いた紙を見ていただき)内容を理解していただいた後、しっかりできています。」との評価であった。
母の歯を見て見ると、確かに、3ヶ月前は、茶色に汚れていたが、今は、きれいになっていた。確かに、母はやっているのだなと思った。
これは、すごいことだ。人とのコミニュケーションがなかなかとれないのに、できたのだから。
評価のことを母にも、読んで聞かせると、にこにこしていた。
そういえば、このごろ、食事の前に声を出して、「いただきまーす」と言うのも、今までになかったことだ。
「ディサービスは、楽しい?」
「楽しい」との返事。うまくいっていて、安心した。
介護ヘルパーさんたちの仕事は、やはり生活援助と身体介護のみだと、最近やっとわかってきた。
母は、精神障害があるので、申し合わせの項目のなかで、特に、生活感覚の欠如を防止する意味で、掃除は単なる掃除だけではなく、本人に参加させて、関心を取り戻し、できるのだという自信をもたせるために欠かせないと強調したつもりだった。
しかし、これまで、ほとんどの方は、はじめのうちは、こちらの要望を守ってくれたものの、やはり、手間のかかる母と掃除するのは、大変なのだろう。次第に、ひとりでやるようになった。
介護ヘルパーの仕事としては、やることはきちんとやっているから、文句はいえない。しかし、そういうことが何回もあると、やはり私の当初の予見どおり、「心身介護」は無理だと思うしかなくなった。
ケアマネさんとも、幾度もこの件では、話をしてきた。今の介護ヘルパーの制度の欠陥もあって、いろいろとしたくても出来ないことや、そのための研修制度も充実していないなど。
確かに、そのとおりだが、看護士さんが来て、本来看護士の仕事でもないことなのに、母の生活の感覚の欠如の相談をして、すぐに、看護士さんは、毎回、部屋に入ると、母とふたりで、脱ぎっぱなしの服をたたんだり、毛布を畳んだりしてくれた。
それは、精神障害者のことがよくわかっているからだ。普通のおばあさんなら、そんなことをすると、単なるおせっかいだが、これは、立派なリハビリだということを知っているためだ。
そのことを、介護ヘルパーさんに言うと、やっと「つぎから、しますね」という。内心、納得いってないのかもしれない。
こんなことを言うと、介護ヘルパーに苦言を言っているように聞こえるが、そうではない。そもそも、私たち利用者は、「なんでも、やってくれると期待してはいけないのだ」と思わなくてはいけないということを、言いたかったのだ。
将来、介護ヘルパーたちも、十分な研修をうけて、いろいろな人に対応できるようになるまで、待つしかないのだと思う。
[訪問看護記9/6]
今日は、午前中、訪問介護のヘルパーさんが見えたのに、母が寝ていて、応答がなく、帰られたとのこと。
耳が遠いので、熟睡しているとチャイム鳴らしても、戸を叩いても、だめらしい。
本人は、自分は、気づくはずだ。来なかったのではないかと言い張っていた。どうも、自分の耳は、悪くないと思っているらしい。
いつもは、訪問日には、母の部屋のサッシを少し開けておくようにしていたが、私も今日は、油断していた。次からは、気をつけよう。
今週、母は新聞には、興味を示さず、一度も見なかった。
午後、訪問看護の看護士さんが見えたとき、そのことを伝えた。
看護士さんは、今日も、変わらず、母と新聞を読んだり、体操をしたりしてくれた。昼間、訪問介護のことで、トラブルがあって、ちょっと不機嫌だったのが、すっかりとなおり、にこにこ。
私だと、こうはいかない。新聞を読まなかったといって、お説教してしまうだろう。
さきほどの訪問介護の件も、母が意地になって、自分は悪くないと言い張ると、ついつい、こちらも、意地になって、いい争ってしまう。その結果、両者とも、気分が悪い。
一方、看護士さんは、新聞を読まなかったことには、ふれずに、いつものように、母と楽しく新聞を読んだりしてくれた。楽しかった母は、少なくとも、次にまた新聞を看護士さんとは、読みたいと思うだろう。
そういう接し方が、なかなか自分には、できないなと思った。今日は、看護士さんが訪問してくれて、私も、気持ちの切り替えができて、すごく助かった。
[ディサービス記9/4]
すっかり、生活の一部のようになってしまったらしく、母は今朝も、元気に起きて、全部ひとりでやって、迎えの車に乗ってディサービスに出かけた。
ディサービスに行った日は、やはりいつもよりも体を動かすので、疲れるらしい。
母は夕食後、長風呂に入り、そのあと、自分の部屋に入った。
私は、夜11時半ごろ、そろそろ寝ようと、下に下りて、片付けをして、ついでに母の部屋の消灯やエアコンのスィッチを確認しようと、母の部屋をのぞいた。
部屋には、電気がまだついたままで、エアコンは止められていた。ふと、母をみると、なんとへんな格好をしていた。
布団の上に、頭をまくらにつけて、土下座しているのだ。近づいて、肩をたたいたが、ぴくりともしない。声をかけたが返事がない。
息は、しているようだから、どうも、寝てしまったらしい。
母を起こすと、「あら、どうして私こんなことしてるの」と寝ぼけ眼で言った。
こっちのほうが、聞きたいが、「早く、横になって寝てね。もう、遅いから」と言ったら、ぼーとしていたが、大きくうなづいた。
そのあと、私は洗面所で歯を磨いた。母が起き出して、トイレに入る。ふらふらしいて、寝ぼけているようだ。
歯を磨いたあと、私は、二階にあがり、着替えたり、寝床を整えたりしていたが、母はまだトイレから出てこない。「まさか、トイレで寝てるのでは?」
再び、一階におりて、トイレを覗くと、ようやく出てくるところだったので、安心した。
あの土下座ポーズは、幻聴があると、よくやっているので、私は、それほど驚かなかったが、まさか、あのまま寝てしまうとは。夜は、睡眠薬も飲んでいる上、昼間運動したから、疲れていたのかも。(笑)