手間をはぶく母


[ディサービス記10/30]晴れ

  今朝も、いつもどおり起床した母。ただ、今日は、食事のあと、着替えをしたとき、普段着のズボンは、よそ行き用のものに着替えたが、ポロシャツは、何日も着たものをそのまま着ていくつもりでいた。
  私が、「それは、汚れているから洗濯に出して、きれいなものに着替えて」というと、「そうね」といって着替えたものの、言われなければそのままだった。
  着替えを忘れたというよりも、手抜きをすることがしばしばある。洗濯物をなかなか出さないので、私が回収にいかなければならない。
  普通の人でも、習慣になっている場合はいいが、そうでないときは、着る服について、「何日着てたかな。今日は、これでいいかな」と一応考えなくてはならない。「考える」という行為が、面倒なのだ。
  最近、ディサービスにすっかりなじんだこともあり、あまり人目が気にならなくなったのかなと思った。そうなると、家にいるように服装に気にかけなくなるな。

 夕方、ディサービスの車が着くと、私は、玄関に向かえに出た。
 母は、若い女性の職員に腕をしっかりかかえてもらい、車のステップを降り、「じゃぁ、Mさん、また来週。御元気で」と手を振りながら言われたが、もう視線は、玄関の中にいっていたので、半身になって、軽く手をふり、顔を見ずに家の中に入った。
 私は、脇で見ていて、「母らしいな」と思いつつ、職員さんには母の分も答えようと、笑顔で「どうも、ありがとうございました」と言った。
 母のこういう態度は、実は、慣れている人たちだから「気をつかわなくなった」というサインなので、私は、いいことだと思っている。(その証拠に、表情は明るい。)ただ、職員さんには、ちょっと理解できないかもね。
 
 

新聞を長く読めるようになった


[訪問看護記10/25]

 前日は、室温が18度ぐらいで、けっこう寒かった。それで、母は毛布二枚に冬の布団を出して寝た。
 今日は、24度ぐらいで、暖かいので、私は、冬の布団をしまって、薄掛けふとんをだした。日中は、それと毛布二枚かけているので、十分だからだ。
 それが、母には、受け入れられないらしい。とにかく、あんなに寒かったのだから、薄掛けふとんでは、だめだという。しかも、午後は、部屋もけっこう陽がさして、暖かいのに、ポロシャツと薄いカーディガンの上に厚手の毛のカーディガンも羽織っていた。
 本人は、これでいいとのことだが、私は、厚手の毛のカーディガンだけは脱がした。
この調子で、また、今年も、気温の変化にぜんぜんついていかないようだ。
 
 看護士さんが、来て、体温を測ると、高いので心配したが、かぜの症状もなく、どうやら、着すぎらしい。大事をとって、午後の散歩はやめて、室内で体操をし、そのあと、久しぶりに新聞を読ませたりした。
 看護士さんが、「以前は、記事をよむのも、少しだけだったし、早くなかったのに、今日は、すらすらでした。ずいぶん変わりましたね。」とのこと。
 このごろ、母の脳の働きがよくなっているのは、確からしい。読む、話す能力が講じようしているのだろう。これも、看護士さんたちのおかげだとお礼を申し上げた。
 
 

積極的に水分はとらないようだ


[ディサービス記10/23]

  今日は、雨。やはり、いつもよりも、起きるのも遅く、食事も倍の時間をかけていた。
動きも遅く、表情もない。それでも、ディサービスへは、行く気で、持っていくものをちゃんと出していたし、食事のあと、着替えもした。
  迎えの車がくると、自分から玄関を出た。

  夕方、帰ってきたとき、やはり、車中の人たちから手を振ってもらい、母も振り返って、手を振っていたので、安心した。このごろ、周りとのコミュニケーションは、かなりよくなっている。
  今日の出来事を聞こうと、母に話しかけたら、口がからからで声がかすれていた。どうも、自分から水分をとろうとしていないらしい。
  「口がかわいているんでしょ?」と聞いても、「乾いてない」といいつつ、生唾をのんでいる。「おやつの時間にお茶のんだから」という。おそらく、帰宅する一時間ぐらい前のことだろう。
   母は、集団の中にいると、まわりと同じことをしていようと強く思うので、のどがかわいても、自分から言わない。一応、ディサービスの人には、お願いしているが。
   母に、水を飲ませて、しばらくして、「ちょっと、口は渇いてたわ」といった。やっと、本音をいいだした。
   母とは、長いつきあいなので、私は、母の本音と建前(むしろ、思い込み)の見分けがつくが、他の人にはできないだろうと思っている。「思い込み」といっても、自分からそう思い込むことで、安心するからやるのだ。普通の意味での、「思い込み」とは違う。
   こういうところは、精神障害者特有の行動だと思う。だから、はじめのうちは、「ウソ」をつくのだと誤解してしまうが、それは、まちがい。それが、病気なのである。

[クリニックに通院10/24] 
 
  今朝も、雨だった。母とクリニックに行った。
  血糖値は、相変わらず、横ばいだが、ヘモグロビンの値は、また、下がっていたので、先生は、「この調子で、けっこうですね」とのこと。
  今日、母はいつも家ではいているジーンズをはいていった。先生が、聴診をしていて、それに気づいて「おっ、若いですね」といった。
  「ジーンズは、しっかりと腰を包むので、いいんですよ」とのこと。母は、聞いてなかったようだ。どうも、まだ、先生との意思疎通はしてないようだ。
   その他、良好で、膀胱炎も、あまり心配しなくてもいいとのこと。雨で、患者も少なくて、待ち時間も短く、ラッキーだった。
   家にかえってから、「コーヒー飲む?」と母に聞くと、とたんに満面笑みになった。あとは、にこにこして、おいしそうに飲んでいた。それを見ていると、ずいぶん変わったなとしみじみ感じた。
 
 

関心をひいてから話す

[訪問看護記10/18]

  今日は、私が外出前に、ヘルパーさんがくるので、サッシのロックをはずし、母には、いっしょに掃除するように話しておいた。
  帰宅すると、連絡帳に「とても、協力的で、すすんで手伝ってくださいました」とのこと。私の言ったことを受け入れて、ちゃんとやれるなんて、最近、ほんとに進歩している。
  午後、訪問看護の看護士さんと、看護学生さん(実習のため)が来られた。
  母の様子を伝えると、看護士さんも、「そうですね」とうなづいた。そのあと、いつものように、身体の健康チェックのあと、天気がよいので、母をつれて、近くのコミニュティセンターの図書室まで歩いて、そこで世界遺産の写真本を見た。
  「今日は、チェコとトルコでしたけど、楽しそうに見てましたよ」とのこと。学生さんは、そこに旅行したことがあったので、その話もしたとのこと。果たして、母はわかったのか。
  看護士さんたちは、「ちゃんと、返事されてましたよ」といっていたが、後で、母に聞いてみた。母は、世界遺産の写真本を見たことや、チェコという国名は覚えていたが、学生さんの話はまったく伝わってなかった。旅行したことなどは、ぜんぜん聞いてなかったのだ。
  私との会話も、ふつうの雑談は、一応わかったような素振りで、うなづいたり、にこにこするが、もう一度、「今、私がなにをいってたかわかってる?」と聞くと、「聞こえなかった。聞いてなかった」という。
  だから、大事な話は、まず「ちょっと、大事な話をするので、よく聞いてね。」と言ってから、話しはじめ、時々確認しないと、すべて抜け落ちていても、わからないのだ。それで、後になって、「聞いてなかった。そんなことを言って無い」と言われてしまう。
  母との会話は、重要事項は、ホワイトボード付で話し、そのつぎのレベルは、今いったように、まず注意を喚起してから、話す。どうでもいい雑談は、そのまま話すようにしている。
  耳が遠いということもあり、とにかく、「関心」をひいてから、話さないと、絶対伝わらないのだ。

庭のほととぎす
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今日はすんなり


[ディサービス記10/16]

 今日は、秋晴れの気持のいい日だった。
 母の体調も、精神状態もよく、朝もすべて自分でやり、「リビングで迎えの車を自分で待っていてね」というと、素直にそうした。
 実際、ちゃんと車がくるまで、外を見ていたし、私が話しかけると、返事もスムーズだった。こういう状態は、珍しい。

 午後帰宅後は、やはり、いつもよりも、コミニュケーションが取りやすかった。
 夕食のときも、「いただきます」といって、箸をとり、表情もわるくない。いつもは、黙って食べているだけで、食べているときも、ぼーっとしている。おかずを箸でとって、持ち上げて、そこで数秒とまり、口に運んで入れるまで数秒かかり、そのままの状態でしばらく停止して、やっと口をもぐもぐさせて噛みはじめる。ほんとに、神経がどこかでつながっていないような感じがするのだ。
 ところが、今夜は、私たちと同じように箸運びもスムーズだったし、視線がちゃんと、おかずにいっているのがわかる。見ていて、「食べているぞ」という意思が読み取れるのだ。
これだけ、ディサービスに行くと、違ってくる。
 まだ、時間はかかるが、これが毎日できるようになれば、と思っている。

庭の洋菊
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「介護家族のストレス」の記事

  ちょうど、新聞に「介護家族のストレス」の記事が載っていて、認知症の人を介護する家族の心の変化について、専門医がつぎのようにまとめてあった。

  [認知症の人を介護する家族の心の変化]

 第1段階  驚き  (認知症と知ったとき)
 第2段階  否認  (認知症であることが信じられず、無意識のうちに否定してしまう状態)
 第3段階  怒り  (問題行動などの症状に耐え切れず、いらだつ状態)
 第4段階  抑うつ (介護をがんばっているのに、思い通りにいかなかったり、理解してもらえず沈んだ状態)
 第5段階  適応  (前向きに考えられるようになる)
 第6段階  再起  (傷ついた心が癒される)


 これを読んで、うちの母の場合もほぼ同じプロセスをたどったように思えた。
 私の場合、第3段階と第4段階で、かなりのダメージがあり、自分も精神科にかかるのではないかと思うことがしばしばあったし、事実、心療内科にしばらく通ったほどだ。
 しかし、「自分ひとりでやれない」ということを認め、「助けてもらってもいいのだ」という気持に切り替えたあとは、なんとか、自分が中心になって、前向きにいい形にしていこうと積極的になれた。
 このブログを立ち上げてから、いろいろな人たちの介護の様子を知り、たいへん勉強になったし、自信がついたのも事実だ。
 今は、やっと第5段階の入り口に立ったところだけど、まだ、危なっかしいのが本音だ。
 
 

セカントオピニオンみたいだ


[精神科通院日10/11]

  今日は、月一回の精神科の通院日。介護保険の更新が来月なので、その件も先生にお願いしなければならならないので、母の最近の様子の説明などを頭の中であらかじめ考えていた。
  まず、昨日の内科での母の血糖値の件や膀胱炎のことを先生に伝えた。糖尿病手帳の数値をみながら、先生は「血糖値は横ばいですが、ヘモグロビンの値がよくなっているし、このぐらいの投薬でかなりいい成果だと思いますよ。膀胱炎も、年寄りは、細菌感染しやすいので、よくあることです。糖尿ということも影響してますね」とのことだった。おかげで、すっかり安心した。二人の医師の言葉を聴けるのは、セカントオピニオンじゃないかと思ってしまった。 
  母の運動不足や、訪問看護、ヘルパーさんとのやりとりをいうと、「確かに、理想としては、ヘルパーさんといっしょに掃除するとかがいいかもしれませんが、一年前の様子からみれば、すごく進歩しているし、これで十分ですよ。むしろ、いろいろな人と接触できるような環境作りのほうが大切で、今のままでいいのではないですか」とのこと。
  なるほど、内科の先生の所見は、他の年寄りを参考に、身体ベースからみているが、それだけでは、母をまるごと正しく見ているとはいえないのかもしれない。それに、加えて、精神科の医師からの所見が入ると、完璧なのだなと感じた。
  そういう意味で、いまはすごく理想的な状態になったなと思った。今後も、この連携を保てるようにと願っている。

[訪問看護記10//11]

 午後、いつもの看護士さんが見えた。私は、昨日の内科と今日の精神科での話を報告した。今、訪問看護の指示書は、内科の先生が出しているからだ。
 今日は、ひとり看護学生さんも、実習でこられた。若い二十代の女性だ。
 母は、いつもどおり機嫌よく、看護士さんたちに健康チェックをしてもらい、近くのコミニティセンターまで歩いていって、「世界遺産」写真本を見たそうだ。
 なんでも、母は、どの国でもよいというのではなく、フランスとかが大好きで、今日は、イタリアのも見たらしい。「お城とかが好きみたいですね。」とのこと。
 若いころ、母は洋裁を習っていて、ファッション画も描いていた。私も、小さい頃、何枚か見たことがある。別に、その道を目指したというのでもないが、かなり、若いころは、おしゃれだった。そういういみで、フランスに興味があるのではないかと看護士さんには言った。
 そういうことがあると、私も、ふと昔の母のことを思い出す。今の姿ばかり面していると、忘れてしまいがちだが、みんな若いころや、きれいな頃があるのだということを忘れてはいけないなと思った。
 
 

時々自分の世界にいる母


[ディサービス記10/9]

  今日は、気持の良い秋晴れだった。母は、晴れの日はきちんと同じ時間に起きて、ひとりでトーストと牛乳の朝食をとるようになった。それから、最近はほとんど忘れずに食前の糖尿病の薬と食後の精神科の薬を飲むようになった。(但し、私は必ずチェックはしている)
  それから、9時25分ごろにディサービスの車が来るまで、着替えて待っている。しかし、その後、自分の世界に入る(幻聴)場合があるので、迎えの車が来ても、チャイムが鳴っていても気がつかないことがある。
  今朝も、だめだった。一回軽く呼んでも、だめだったので、部屋に行って、「もう、来たよ」と大きな声で言って、はじめて気がついた。
  こういうところは、やはり普通のおばあさんたちとは、違うなとつくづく思う。
  夕方、帰宅したときも、車中のおばあさんは、にこにこと手をふっていたが、母は、淡々と振り向いて、おじきをしただけだった。これだけの差があるのだと改めて感じた。
  とはいえ、母は確かに一年前とは違う。帰宅後、私が話しかけると、にこにこしたりするからだ。ただ、まだ感情表現が乏しいのは、確かだが。

[クリニックに通院10/10]

  今朝、母を連れてクリニックに行った。たいへん混んでいて、二時間待ちだった。
  母の場合、じっと順番を待つのは、つらい。いつもならば、途中で席を立ったり坐ったりをしたり、ぶつぶつとひとりごとしたりする。私も、覚悟はしていたが、すこし、あくびをしたり、椅子にすわった姿勢でうつ伏せたり(拝んでいるみたい)したが、その他はがんばって待っていた。いいほうだ。
  診察の結果、血糖値は横バイ。まぁ、母は食欲あるから、これ以上は減らせそうにないので、そう伝えた。ただ、間食はしていないので、その点は評価してもらいたいと思った。また、すこし膀胱炎になっていた。まだ、痛みなどの症状はないので、これは、本人によく水分をとるようにという指示があった。
  先生には、訪問看護の指示書を書いてもらっていて、「訪問看護」の様子なども聞かれた。母の場合、きっかけは床ずれだが、ディサービスへは、週一回しかまだいけないので、訪問看護は欠かせないと話した。やはり、運動不足もあって、糖尿のほうも、ゆっくりしか改善しないだろうから。
 
 

少しは変わってきているが


[介護ヘルパー記10/4]
  ヘルパーさんとの連絡帳によれば、母は、今日もいっしょに掃除をしたそうである。しかも、この頃は、ヘルパーさんとやることが自然になったとのこと。以前のように、「いっしょにやりましょうね」といっても、「あんたがやって」という台詞は聞かなくなり、少し声かけると、すぐに身体を動かしてくれるとのこと。


[訪問看護記10/4]  看護士さんに、昼間、母がヘルパーさんと掃除をしたことを告げた。看護士さんによると、ディサービスでも、たいへん表情がよくなったという声を聞いたとのことだ。
  それで、すっかり安心していたら、後半、看護士さんがいつものようにコミニティセンターへ行こうと誘っても、「身体が動かない」と言い出した。
  結局は、看護士さんがうまく誘導して、近くの川沿いを20分ほど歩いた。ただ、「いつもよりも、足の動きはよくなかったですね。疲れたのかな」とのこと。
  「お母さん、このごろ、幻聴が聞こえなくなったと、言ってましたよ」とのことに、私は、「毎日、幻聴はありますよ。一人言もあるし。」と答えた。
   看護士さんは、笑っていた。母にとっては、以前よりも、確かに幻聴は聞こえなくなっているので、そう言ったのかもしれない。あるいは、よく質問が聞こえなかったかも。

 
 

通所は今のままで


[ディサービス記10/2]

  今朝も、いつもどおり自分で起きて、朝食をすませ、着替えをして、迎えの車を待っていた母に、「どう?今は、週一回だけど、二回にしてみない?」と訪ねてみた。
  母は、「二回は、多すぎる。一回がいい」とはっきりと意思表明した。
  確かに、慣れてはきているものの、母にとっては、集団の中にいることはやはり精神的には負担なのだろう。
  過去にも、そういう例が幾度もあった。たとえば、近所に仲良しの奥さんができて、はじめのうちは、とても楽しく交際していたが、ある時から、なんだか相手の一言一句に敏感に反応するようになった。そのうち、幻聴がひどくなり、やたら相手にいろんな品物をプレゼントする。それが、衣類の場合、相手の好みもあるのに、あげてから、着てくれないと気になる。そうすると、また、気に入ってくれるまでいろいろと物をあげる。
  この繰り返しに、さすがに相手も閉口し、次第に用事があるといって、付き合わなくなる。そうすると、ますます幻聴はひどくなり、しまいに、「誰かがあの人に私の悪口を言ってるのだ」と思い込む。
  こうして、数ヶ月たつと、「近所の人たちがいつも私を監視している」「役所に密告している」「探偵が調べている」というようにエスカレートしていく。
  母の場合、人との距離がとれないのだ。だから、ディサービスでの付き合いは、なるべく浅くしてほしい。そのほうが、母には、よいのだ。
  身体のことを考えると、週二回いくほうが、運動量もふえるからよいが、母の場合は、それよりも、精神面での負担のないような配慮が第一なのだ。
  
  今日も、母はたいへんいい笑顔でディサービスから帰ってきた。とにかく、当分は、今のままで行こうと思った。
 
 

ケアマネ難民


  先日、月一回の定期訪問に訪れたケアマネさんと、今の介護の現状について話し、現場の話をいろいろと聞いた。

  介護保険の見直しのあと、介護認定が厳しくなり、かなり多くの利用者が介護1にふりわけられた。「介護予防」でも、月二回まで、ディサービスは受けられるという建前だが、事業所では、赤字になるため、現実は、月一回の利用となるらしい。
  つまり、赤字覚悟で受け入れるところは、ないのに、制度だけが先行してしまったというのが現状らしい。
  ケアマネさんひとりの担当の人数の制限もあり、それをひとりでも越えて担当すると、収入が減るため、現実ではできない。しかし、今でも、ケアマネさん不足なのに、たとえば、ひとりやめる方があると、その人の担当の分をどうするか。それは、制度上まったく考慮していない。
  そうすると、「ケアマネ難民」ということが今、現場では発生していて、問題になっているという。
  ケアマネさんの仕事にしても、書類が煩雑で大変だ。確かに、担当数をきめることで、ケアが行き届くという考えも正しい。しかし、問題は、ケアマネさんの数が足りない現状をまったく考えていないということだ。
  また、「介護予防」のケアプランも、決して、事務量が減るというのではないのに、報酬が半分以下ということで、現実には、引き受ける人がないのだ。
  先日、NHKで、こうした中で、利用者と家族が役所に自分でケアプラン立てるので、いろいろと教えてもらっていた場面があったが、あの書類と手間の多さには、閉口した。私でも、よほど、体力と暇がなければ、やれない。これを利用者が自分でやれるのだろうか。
  なんだが、予算の削減ばかり先行して、介護保険はなんのためにあるのか、だれのための介護保険か、まるで、人を物のように扱っているなと思った。