そろそろ寝てばかりの季節


[訪問看護記11/29]くもり

 冬になり、母は、晴れの日以外は、朝起きる時間が遅くなり、起こさないと自分から起きなくなった。その上、雨の日や、曇りの日は、一日ほとんど、布団の中で寝ている。

 去年の床ずれは、きれいになおったものの、このような生活が続くと、また、同じことの繰り返しの可能性がでてきた。今は、月曜日にディサービス、水曜日に昼間一時間ヘルパー、夕方一時間訪問看護を受けている。
 先日、ケアマネさんに、「今の状態だと、バランスが悪いので、土曜日昼間一時間ヘルパーを入れたい」と希望した。しかし、今利用している事業所は、主婦が多く、土日に稼動できるヘルパーが限られているという。その上、うちの場合、精神の介護だから、なかなか難しいとのこと。
 母の場合、今水曜日に来ているヘルパーでも、他の利用者さんのような接し方ではだめということをわかってくれ、慣れるまで時間がかかった。
 たとえば、掃除にしても、ただやってあげるのではなくて、一緒に参加してもらうことで、意識を持たせることが、母には「リハビリ」なのだ。しかし、今の、介護保険では、そういうのは、「介助」には入ってない。外を歩かせるのも、なにか買物の付き添いということがないと、「してはいけない」ということで、きてもらう時間もいつでもいいというわけには、いかなくなる。
  看護士さんのように、母と写真の本をみせたりして、治療の一環として、いろいろなことを自由にさせてあげることが、できないのである。

  今日も、母は、看護士さんと、楽しく写真をみて、いろいろと、「感想」を述べたりしたらしい。母は、興味のないことは、なにをしても、反応は示さないが、いったん、興味のあることに出会うと、飽きずにとことん関心をもつ。
  看護士さんも、来た当初は、「おかあさん、なにが好きですか」と聞いていたが、本人も答えられなかった。しかし、英語、新聞、絵、そして、写真といろいろと試して、ついに、見つけたのだ。以前は、「散歩しまししょう」と連れ出しても、途中で「かえる」といっていた母が、「写真本見ましょう」というと、うれしそうについて行く。
  簡単なようだが、これは、やはり、精神科の看護をしてきた人だから、できることなのだと思う。
 
 

母の病歴(3)


[睡眠薬事件]

 母のような病気にかかった患者のほとんどは、自傷行為を行う。自殺未遂も多い。
 私が中学に入ってから、母は、退院後しばらくは、規則正しい毎日の生活をしていた。
普通のお母さんがするように、毎朝、家族が起きる前に起きて、昼食の用意をし、夫と子供を送り出してから、掃除、洗濯、買物をする。
 私たちは、午後帰宅すると、おやつが用意されていて、それを食べて、宿題をし、母は、夕方から夕食の準備、お風呂をたく。そして、父が早く帰る日は、一家だんらんだ。
 母は、お酒を飲まないが、父の話を聞くのが好きで、私たちが食後、テレビを見ている間も、晩酌を付き合っていた。
 そういう生活が、退院後長くて二年ぐらいしか続かなかった。毎年、私たち父子の新年の願い事は、「母が今年も、病気がひどくならないように」だった。

 ある日、私が、いつものように、帰宅し、夕食を済ませ、ふと、母をみると、いつものと少し違っていた。表情は、暗いし、私たちに話しかけない。
 夕食後、テレビを見ていると、母が「薬を飲んでしまった。救急車をよんで」という。
 私には、なんのことかまったくわからなかったので、立ちすくんでいると、母は、自分で救急車を呼んだ。
 「睡眠薬を一瓶飲んでしまいました。救急車をお願いします」あとは、自分の住所、氏名を伝えていた。
  母の様子は、私からは、正常のようにしか見えなかった。ともあれ、父がまだ帰宅していないため、救急車に同乗してくれと隊員さんに言われ、妹が、ひとりで留守番をして、私は、母といっしょに病院に向かった。
  母は、胃洗浄をして、大事には至らなかった。父がほどなく、病院に到着し、医師らに、母の病気の説明をしていた。
  その間、私がすごく冷静で、取り乱してなかったので、救急隊員が「しっかりしているお嬢さんですね」と父に話していたのを、覚えている。
  そうではなくて、まず、母が飲んだ睡眠薬というのは、どういうものかもよく知らなかったし、母が死ぬなんて、まるで考えていなかったからだ。
  その日から、母の薬の管理は、父がするようになった。母は、ほどなくまた入院した。
 
 

母の病歴(2)

[包丁事件]

 私が、小学校にあがるころ、父の転勤で、また母の実家から離れたところに移り住んだ。
 ちょうど、私が、3年生ころ、ある日、学校から帰ると、父が荷物をまとめていて、母がまた、しばらく、入院することになったといった。
  私は、普段とかわらない母だと思っていたので、どういうことか、理解できなかった。
  母の入院先は、実家の近くの病院なので、また、離ればれになることは、わかったので、さびしかった。
  それでも、夏休みには、母の実家に長逗留して、母とは、よく面会できたので、半年はあっという間にすぎたように思う。
  次の年、母が退院してから、家を新築し、引越しをした。母も、しばらくは、新しい家で、通院しながら、元気に暮らしていた。
  私が小学校6年のころ、母の病気が再発した。
  私が、妹と、いつものように学校から帰宅すると、母の様子が変だった。しばらくして、台所から包丁を持ち出し、私に「いっしょに死のう」と近づいてきたのだ。
  私は、怖くなって、妹の手をひっぱり、サンダルばきのまま、家を飛び出した。そして、近くの神社まで、逃げ込んだ。母は、追ってこなかったが、父が、もどる時間までそこでじっとしていた。
  夕方、父が、私たちを捜しにきて、私たちは、ようやく家に帰れた。
  それから、しばらくして、母はまた、精神病院に入院した。どうも、このころから、「統合失調症」(当時は、精神分裂病)と診断されたらしい。今度の病院は、同じ市内にあったので、面会には、便利であった。
  しかし、私は、こわくて、しばらく、母には、面会できなかった。そのうち、父に連れられ、母と面会したとき、母は、いつもの母だったし、あのことは、覚えていなかったらしい。信じられなかった。私にとっては、はじめて、母の病気の怖さを知った体験だったからだ。
 
 

花に関心のない母

[ディサービス記11/27]雨

  先週の水曜日、ヘルパーさんが来た日、さざんかを一輪もってきてくれた。
  その日、私が、午後帰宅すると、キッチンのテーブルに、ざさんかが一輪、小さな容器にさしてあつた。私は、すぐに「ヘルパーさんがしてくれたんだ」とわかった。
  母に、「花があるけど、どうしたの」と聞いたところ、「私じゃないわよ。あの人が(ヘルパーさん)が置いていったの。」という。花には、まったく関心を示さない。それでも、私は、せっかくの気持だからと、母の部屋に飾った。
  母は、ちょっと変な顔をして、「そこに、おくの?」と聞いた。
  母の部屋の前の庭には、私の育てた花の鉢植えがたくさん置いてあるが、一度も、「きれいな花が咲いているね」といって、見たことはないのだから、ちっとも驚かないが、ヘルパーさんは、がっかりするだろうなと思った。

  だいぶ寒くなり、母も朝起きる時間が30分遅くなった。今日も、遅く起きたが、ディサービスに行くのは、わかっていたので、食事をして、着替えをして、迎えを待っていた。
 
 

母の病歴 (1)


[発病]

  母が発病したのは、妹を産んだ年である。年齢は、32歳だった。
  亡父から聞いた話によると、はじめは、「うつ病」であり、ひとりで留守番していると、不安に襲われたらしい。私は、まだ4歳で、専業主婦だった母は、妹を妊娠してから、さらに病状が悪化した。
  母は、五人兄弟の三番目で、大家族の家に育った。私が生まれたときは、実家にいて、父も実家近くで仕事をしていたので、家族の助けがあった。しかし、その後、実家から離れたところに移り住み、環境の変化についていけなかったらしい。
  それでも、父もいろいろと気をつかい、近所の人に「留守の間、なにかありましたら、よろしく」と頼んだりして、母が困ったら、声をかけやすいように計らったりした。それでも、病気が進むと、夕方、父がもどるまで、家事もほとんどできずに、じっとしていたらしい。私は、当時、もう、幼稚園に通っていたし、そばにお寺があり、そこの住職さんが、「遊んでいっていいよ」と言ってくれたので、父が帰るまで、お世話になっていたという。
  母が妹を妊娠中、非常に不安定だったので、父も、母の実家の祖父に相談していたらしいが、出産は、地元でした。それから、すぐに、祖父が母を迎えに来て、実家の近くの精神病院に入院した。
  そのため、母は、妹を出産した記憶がないという。妹も、生まれてから、一年ぐらいは、母と離れて育った。子育ての経験のあるお手伝いさんが来て、妹の面倒をみていた。
  母と妹の親子関係は、私と母とは、まったく違ってしまったのも、このためである。
 大きくなっても、妹は、頭では、母とはわかっていても、なにか姉とは違っているなとずっと、感じていたという。
  また、母も、私と妹とは、分け隔てなく育てていたものの、心のどころかに、違和感を覚えていたらしい。「生んだ記憶」というのは、母親にとっては、とても、重要なものなのだ。
  母は、一年後、退院し、その後の2、3年は、親子が離れて暮らすことはなかった。私が、6歳のとき、父は、また、転勤で、母の実家の近くにもどった。
 
 

いつもの看護士さんでないけど


[訪問看護記11/22]晴れ

 今日は、いつもの看護士さんではなく、11月8日に、いっしょに来られた精神科の看護士さんが来た。
 訪問時、部屋に入ると、母はすこし意外な表情をしていた。それから、しばらくは、看護士さんのほうを見ているものの、かなり、表情は硬かった。
 私は、いつものように、この一週間の様子や、クリニックでの先生の話などを報告した。そのあと、看護士さんは「今日は、暖かいし、あとで、外を歩いてみませんか」と母に聞いた。
 「今日は、いいです」という返事。それから、しばらく、母と話をして、母の緊張を解いてから、また「いつもの所にいって、写真本をみませんか?明日から天気が悪くなるというので、今日ちょっとだけ歩いてみましょうか。ね、やってみましょう」というと、
 「はい」と、母は返事した。だが、まだ表情は硬い。
  でも、さすが、ベテランの看護士さんだ。私は、わざと横から言葉をかけなかった。これは、母とこの看護士さんの関係をつくるためにも、大切なことだ。家族が口を出すと、それは、家族のために母が応じることになるから、看護士さんとの関係が築けなくなる。
 「あとは、よろしくお願いします」といって、私は部屋を出た。
 母は、看護士さんと、30分くらい、いつもの図書室に行き、好きなフランスの写真本を見たらしい。
 「今日も、フランスの写真は、身を乗り出すように見てましたね。他に、中国やイギリスのも見せたのですが、ぜんぜん違いました。」
  「楽しかった?」と聞くと、母は、満面笑みで、「楽しかった」と答えた。
  看護士さんとは、すっかり打ち解けて、帰り際も、しっかり玄関で、私といっしょに「ありがとうございました」と挨拶をしたほどだ。
 
 

手を振るわけ

[ディサービス記11/20]雨

 今朝、母は雨が降っているので、折りたたみの傘も持っていこうとしていた。しかし、毎回、使うことはない。私は、「他の人たちは、どうしているの?」と聞いてみた。
 「見ていない」というのが母の返事。もう、9ヶ月も通っているのに、見ていないという。関心がないということだ。結局、今回は持っていかなかった。
  いつも、ディの車は、家の前につけてくれるし、雨の日は、職員が傘をさしてくれる。向こうについたら、やはり、同じだろう。あとは、室内にずっといるのだから、必要ないのである。
  ともあれ、私は、傘のことよりも、母の「関心のなさ」にびっくりした。

  夕方、いつものように車から降りると、玄関の前で、車の中の人たちに、手を振る母の姿に、朝の出来事は、思い過ごしかなと思った。
  部屋に入ってから、「今日は、どうだった?」と聞いた。
  「どうって、普通だった」
  「降りるときに、手を振ってくれるおばあさんとは、仲良しなの?」
  「そうでもないよ。」
  「向こうでは、話さない?」
  「話さない」
  「じゃあ、何で、手を振っているの?」
  「みんながね、一人降りると、手を振っているの。だから、私も、そうしているだけ」
  なるほど、傍目からは、仲良くやっているから、手を振るのかと思ったら、そうでもないのか。要するに、「つきあい」でそうしているだけなのか。
  ディが楽しいということも、私の尺度で考えると、ずいぶんと、母の感覚とは、ずれているのだなとつくづく感じた。
  
[クリニックに通院11/21]晴れ 
 
  クリニックでは、一時間ぐらい待った。血糖値のついては、横ばい状態。ヘモグロビンの値は、少しさがっていた。先生は、「少しここにきて、停滞しているので、もう少し様子をみて、薬を増やしたりしましょう。今の量だと、これが限界かもしれませんね」
 「毎日、運動をしていないし、食欲はあるので、しっかり食べてますから、いいほうだと思います」と私は言った。ほんとに、間食だけは、していないのが、救いだが、食事制限もしていないのだから。

  ついでに、私の健康診断の結果も、聞いてきた。肝臓の値が少し高いものの、再検査は必要なし。ほかは、異常なし。私自身は、もう少し脂肪をとりたいのだが。
 
 

やっぱりフランスが好き

[訪問看護記11/15]

 今日母は、昼間ヘルパーさんとも、会話がはずみ笑顔でご機嫌だったということだ。
 午後、いつもの看護士さんと、別の介護ステーションの看護士さんが一人見えた。
母のような精神障害の看護の見学をしたいということだ。
 私は、母が最近、また汗をかくのに、布団や毛布を調節しないことを告げた。ようするに、母の場合は、「汗をかく」というのは、暑いからだとわかっていても、どうしても、「毛布を減らすと寒いはずだ」という考えにこだわってしまうのだ。
 看護士さんは、身体に熱がこもるとよくないということを説明して、母を納得させた。(ただ、ほんとに実践するかどうかはわからない)母は、「わかりました」とは返事したが。

 そのあと、いつもどおり、歩いて、近くの図書室に行き、写真本を見てきた。
 「やはり、フランスにこだわっているらしいですね。一応、イギリスの写真本もみせたのですが、やはり、フランスがいいらしいのです。それも、今日は、写真の中のものをさして、いろいろと感じたことをいうので、会話がはずみました」
 いっしょに見学していた看護士さんも、「上品なおばあさんですね。だから、フランスがすきなのかしら」と言っていた。(そんなことは、ないのだが)
 ともかく、母は、ひとつのことにこだわる。これが、食べ物でもそうだ。
 昼は、好きなものを自分で買いにいくことがあるが、いつも同じものだ。それが、半年以上も続く。毎日、同じものだと飽きるし、身体のことを考えると栄養のバランスも悪いのだが、昔からだめだった。
 今は、私が夕食などを作っているからいいのだが、昔、父がなくなったあと、10年ぐらい一人で暮らしていたころ、食生活は、偏っていた。そのために、糖尿病になったともいえる。
 昔、ある精神科の医師に、「この病気の患者に、食事のコントロールは難しいですよ。たいていは、失敗します」と言われたが、これは、当たっていると思う。
 
 

洗髪をめんどくさがる母


[ディサービス記11/13]晴れ

 ディサービスに行く3日前から、母に「もう一週間も髪を洗ってないから、洗ってね」と言った。その場で「はい」と、うなづいたが、一日目は、洗わなかった。
 二日目、また言うと、また、「はい」という返事。しかも、お風呂に入る直前にも、念を押したが、洗わずじまい。
 三日目、「明日、ディサービスにいく日だよ。みんな、きれいにしてくるのだから、今日は、洗ってね」というと、「昨日、洗ったよ」とのこと。そんなはずはない。こちらは、ちゃんと、観察しているのだから。それで、やっと観念したのか、しぶしぶ髪を洗った。

 去年は、髪ではなく、風呂に入るのも、こんな調子で、毎日言わないと入らないし、言っても、「身体がうごかない」といっては入らなかった。それに、比べれば、今は毎日風呂には、入るから、いいかと思っている。

 ディサービス当日の朝、迎えを待っている間、私は母に、「向こうでは、たくさんの人がお風呂に入っているの?」と聞いてみた。「そんなに、たくさん入らないよ。」
 「髪だけ洗ってもらう人もいるよ」と母が話す。私は、母に、「自分で洗えるから、いいね。」と少し、ほめてあげたら、にこっとした。
 
 母は、いつものように、楽しく、ディサービスで一日過ごしたようだ。帰ってから、部屋がきれいになっているのを見て、「掃除してくれたの?ありがとう」といってくれた。
 ほんとに、めったに聴けないお言葉でした。 
 
 

精神科ドクターのお話

[精神科へ通院11/8]はれ 

  今日は、母に付き添って精神科に通院した。主治医にまず糖尿病のデータを見せた。
先生も、内科クリニックの先生とまったく同じ見解で、経過は順調だと言った。
  私は、母の様子を詳しく報告した。以前のように、寝てばかりではないものの、日中は、坐ったまま。ほかに関心はない様子。ただ、最近は、幻聴が少なくなったと言った。
  「そうですか。薬で、ぼーとしていると、幻聴が聞こえてくることがあるので、最近、薬の量も減り、その分、聞こえなくなったのでしょうね。」
  それから、看護士さんに、写真本を見せてもらったりすると、とても、いい表情をすることや、新聞も、嫌がらずに読むことなども報告すると、
  「本人は、もともとそういう能力がなくなっているのではなく、病気のために、関心をもたないだけなのです。だから、今、本人にとって関心のもてることをしてあげていることで、脳が活性化しているのでしょう。」
  母は、目をまんまるく開けて、私と医師のやりとりをじっと見ていた。耳は、聞こえないらしいが、「関心」がありありといった感じで。
  「以前よりも、確実によくなっていますね」というと、母は、聞こえない様子だったので、先生は、もう一度、大きな声で「よくなっていますよ」と言ったら、にこにこして「そうですか」と答えた。
  ほんとうに、一年前には、先生とのやりとりもできず、目もうつろだったのが、うそのようだ。

[訪問看護記11/8]
  
  夕方、いつもの看護士さんが来てくれた。母は、にこにこと出迎えた。
  今日は、新しく訪問看護に入った、ベテランの看護士さん(精神科)と一緒だ。
  私は、昨日のクリニックのことと、今日の精神科でのことを報告した。
  看護士さんのおかげで、母がここまでよくなったということで、とても感謝している。また、看護士さんも、いままでのやり方でいいのだという、医師からのお墨付きを得て、とてもうれしそうだった。
  母をとりまく介護の環境は、いまはとてもいいと思う。いいチームのようになってきている。母も、安心しているから、いい方向に向かっているようだ。

 
 

ディでリフレッシュ?


[ディサービス記11/6]くもり

 先週後半の母は、また毎日部屋に坐っているだけの生活にもどっていた。庭のほうの窓にむかって坐るのでもなく、壁のほうに向かって、ただ何時間も坐っている。食事とトイレと風呂以外は、ずっと坐っているだけ。疲れると、ふとんに横になる。
 さすがに、私もほうっておく訳にいかず、話しかけをしたりしたが、こちらの目を見ない。話も、半分はいいかげんに聞き流しているようだった。
 いつもは、月曜日にディサービス、水曜日にヘルパーと訪問看護がくるが、先週は、水曜日はキャンセルした。たった、これだけのことでも、ぜんぜん違うものだと改めて感じた。

 今日は、本人も待ち遠しかったようで、迎えの車がくると、自分から玄関を出て行った。
帰ってくると、まるで別人のように変身していた。
 私との会話がスムーズだし、人の目をちゃんとみていて話す。表情も、にこにこしていていい。一見、普通のおばあさんだ。
 母にとって、適度な脳への刺激は、とても大切なのだと痛感した。

[クリニックへ通院11/7]はれ

 今日は、午前10時半、母とクリニックへ行った。
 血糖値の方は、相変わらず横ばい。運動してないし、仕方ないと思った。
 そのほかは、異常なし。待ち時間の間、母は、あと何人待てばいいのか、気になって、なんども、立ってはまわりを見渡す。これも、脳が活性化しているのだから、いいかと思って、私は、読書していた。
 今日は、30分ぐらい待って診てもらえたので、母もごきげんだった。明日は、精神科へ通院だ。
 
 

息抜きの旅

 10月31日から一泊で、夫とふたり赤城山方面に旅しました。
 今年6月も同じ方面に行ったのですが、「秋の紅葉はどうかな」と思って、再度行くことにしました。
 当日は、赤城山の上の大沼まで行って、その周辺を歩いたり、覚満淵の中を散策したり、最後に、夫の強い要望で、ふれあいの森を一時間歩くことになりました。(起伏のある道は、やはりきついよ)紅葉は、まだ少しだけという感じでした。
 宿は、赤城高原温泉の山屋蒼月です。はじめてなのですが、部屋は8畳で狭い感じがしたものの、風呂も食事もよかったので、我が家のお気に入りにブックします。
 次の日は、「わたらせ渓谷鉄道に乗れたらいいな」と思い、まずは、大間々駅に行き、そこで車を駐車しました。電車の時間を確かめてから、一時間、そこから遊歩道を歩いて高津峡を散策。それから、駅にもどり、たまたま運行していた(予想外でした)トロッコ列車に乗り込みました。
 そこから、神戸(ごうど)まで、約40分渓谷をながめながら、行きました。私たち二人とも、実はトロッコ列車ははじめてなので、嬉しかったです。
 しかし、トロッコ列車とバスとの連絡が悪く、神戸で降りたあと、バスで草木湖へ行くと、時間がきびしくなるので、その辺を一時間歩いて、散策するだけにしました。それでも、十分秋を満喫しました。
 午後2時には、大間々駅にもどり、後は、帰路につきました。

 二日間、天気には恵まれ、宿もよく、おまけに、予想外のトロッコ列車にも、乗れたので、ふたりとも上機嫌の旅を楽しめました。

 一方、母は、何事もなく、ひとりで留守番できたようですが、やはり、一人でいると、ぼけてしまっていて、「前の日になにをしたか」と聞いても、「忘れた」。「何を食べたの?」「覚えていない」という感じでした。薬は、きちんと飲めたようなので、よかったけど。
 でも、たまには、ひとりで留守番させないと、「一日なにをしょうか」「なにを食べようか」も考えなくなるので、いいのかもしれない。いつも、なにも「しなくていい」生活は、母が「なにも考えなくていい」生活なのだから。

高津峡
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