母の留守番

1月21日(日)はれ

  午後2時、私が帰宅すると、母はちょうどリビングの入り口にいた。声をかけると、笑顔になった。昼は、コンビニで弁当を買って食べ、夕食の分の弁当も買ってあった。
  薬も、きちんと飲めてたので、とりあえず安心した。
  しばらくして、台所にいくと、母の茶碗が洗っておいてあった。留守の間、なにか作ってたべたのか、そうだとすれば、おかゆだなと思った。
  母に聞くと、「おかゆをつくって食べた」と言っていた。しかし、冷蔵庫にある、漬物やほかの食べ物には、手をつけていなくて、白がゆだけ。
  私は、はじめ、夜だけそうしていたのだと、思っていた。しかし、あとで、詳しく聞いてみると、(自分からは、言わないので)金曜日の夜、土曜日の昼と夜の三回らしい。朝は、パンと牛乳があるので、いつもどおりの食事をとっていた。
  まぁ、二泊三日だったので、栄養失調の心配はないものの、やはり、そうかと思った。
  もちろん、お風呂も入ってない。ボタンひとつで、お湯が出るし、やったこともあるが、する気がないのだ。
  ともかく、そのほかは、全部できたので、いいことにしょう。

1月22日(月)くもり 後 はれ

  母は、いつもどおりディサービスに出かけた。待ちどおしかったようだ。
 
1月23日(火) はれ

  母を連れて、内科クリニックへ。二週間前の血糖値は、ちょっと高め。正月の間、よく食べたから仕方ない。でも、あまり心配するほどではないとのこと。いつもどおり、薬をもらってかえる。母は、風邪ひとつひかないので、先生も「よかったですね」といっていた。

1月25日(木)くもり のち はれ

  私は、外出し、昼にヘルパーさんが来て、母はとてもいい状態だったとのこと。
  夕方、看護士さんが来たときに、母の留守番の様子を伝えた。ほんとうに、この看護士さんのケアがあったから、こんなに意識がしっかりしてきたのだ。そうでなかったら、今回もどうなっていたか。
  以前、ひどいときは、家族の留守番の間、食べ物を置いてあったのに、ほとんど食べてなかったり、目がうつろになって、家族が帰宅しても、反応がなかったりということがあった。つい二年前のこととは、とても信じられない。

1月26日(金)はれ

 今日も、ひとりで起きて、食事、薬をのみ、着替えて、ディの車を待っていた。
 目に力が出ていて、母の変化に驚いている。

 
 

義父の葬儀

  17日に亡くなった義父の通夜が19日、告別式が20日行われた。
  私は、19日は、昼ごろ東京を立ち、新潟の直江津へ向かい、通夜に参列。夫の兄弟たちや甥、姪、その地区の人、知人、親戚など30名ほどが集まった。
  通夜の会場は、セレモニーセンターで、そこで通夜のあと、お斎をして、散会。翌日は、午前中に告別式、そのあと、斎場へ。午後、初七日法要。そのあと、お斎をして、散会。
  田舎の人たちの葬式は、はじめてなので、大分緊張した。それでも、夫の親戚は、みな仲がよくて、協力的で、その姿を見て、あらためて、義父のことをしみじみと偲んだ。
  義父は、性格が温和で、私にも、とてもやさしくて、はじめて会った日からすっかりと先方の家に溶け込めて、いつも感謝していた。
  普段は、雪深い季節なのに、今年は、ほとんど雪がなく、ほんとに最後まで、子供たちを困らせない人だなぁと、ずっと思っていた。
  風邪をこじらせて、急死したのだが、苦しまずに、とてもいいお顔で亡くなられ、ひごろの人徳なのだなと思った。

  義父の葬儀に参列して、日頃、母に対して、介護の上でつらいことがあったが、いずれ、母を送る日がくるのだと思うと、お坊さまの説法のように「人生は、一瞬のもの」ということが実感できて、いろいろと思うことができた。
  あとで、後悔しないように、まだ母が生きているうちにしてあげられることは、すればいいなと思った。これも、義父さんからのメッセージかもしれないと思って、合掌。
 
 

義父が急に亡くなって

[今週の出来事1/15〜1/18]
  
1/15(月)晴れ

  今朝は、ディサービスへいく日なので、7時半には、起きていた。家族が起き出す前に、もう洗面所で顔を洗い、リビングにいって、カーテンをあけ、あとは、いつものように朝食(パン)を食べていた。
  薬を飲むのも忘れずにやり、まったくそつがなく、やっていた。よほど、ディサービスへ行きたいという気持が強いのかと思った。
  今日も、やはり、帰宅したときは、車の中の人や職員に、笑顔で挨拶していた。夕食のときも、きちんと「いただきます」といい、食べている間の表情もよかった。

1/16(火)晴れ

  朝は、昨日とだいたい同じ時間に起きて、食事や薬も自分で済ませたが、一言も家族とは会話がなく、食後(まだ8時すぎ)もう自分の部屋に入り、そのあとは、布団の中。
  今日は、「休日」のつもりで、一日この調子かもしれない。天気もいいのに、外にはまったく関心なし。

1/17(水)雨

  昼間、ヘルパーさんが来たので、いっしょにコンビニまで歩いたそうで、一日ぶりの外出。午後も訪問看護のとき、楽しくいつもどおり近くのコミニュセーターで行き、ピカソの絵を見ていたとか。
   母のほうは、このような調子で、以前よりは、よくなっている。
   夜11時、寝ようとしていたら、夫の実家から義父さんが亡くなったとの知らせが入った。
   今週の初め具合が悪くなり、入院していたが、急なことで、なにが原因かもわからない。義弟から連絡を受けて、さすがに長男の夫は、あわててしまった。
   そのあとは、いろいろと準備して、夫は、明日行くことになり、私も、母のことがあるので、用事をすませて、あさっていくことになる。

1/18(木)
 
  私は、明日朝母をディサービスに送り出してから、昼すぎに新潟に向かう予定。

  というわけで、今週いっぱいは、ばたばたとするので、更新は、ストップします。幸い、母は、この話をきいて、すごく理解できていたので、二日ほど留守番してもらうことになった。
 
 

やはり、違いがある


[今週の出来事1/8〜1/12]

 1/8(月)晴れ
   今日は、ディサービスの日。月曜日のディは、もうほぼ一年通っている。
   先月から、金曜日も通いはじめた母だが、やはり、「違い」がでた。
   金曜日は、帰宅の時、車から降りると、振り向きもせずに、玄関に入る。職員が、「またね」と声をかけても、それに反応もなく、いつも、私も苦笑してしまう。
   帰宅後、「今日は、なにをやったの?」と聞くと、「なんだったか、忘れた」と返事するのも、以前、月曜日に通いだしたときと同じ。
   これが、月曜日だと、車から降りて、玄関で立ち止まって、振り向いて挨拶をしてから、家にはいる。職員のひとにも、愛想がいい。(金曜日と違うメンバーなのだ)
   これだけ、そっくり同じように反応しているというのは、おもしろいと思った。おそらく、金曜日もあと数ヶ月たつと、全然反応も変わってくるだろう。

1/9(火)晴れ

   3週間ぶりに、内科のクリニックに通った。血糖値は、相変わらず横ばいだが、いちおう、血圧も安定しているし、問題なし。いつもの薬をもってかえる。
   ここのクリニックは、番号札もなく、順番で看護婦さんが名前を読んでくれる。そう、前日に母に話した。それでも、「あと、何人?」と、何度も、席を立って、待合室を見回していた。受付のところに、「診察の順番は、治療の都合により、多少前後することがあります」と断り書があるのに。まぁ、私は、いろいろと気にするのは、脳の活動もよくなったのだと考えるようにしているが。

1/10(水)晴れ

   精神科の通院日。今日は、主治医は休みで、代わりの医師が代診した。そのため、薬の処方をしてもらう程度で、3分もかからなかった。他の患者も、ほぼそれぐらいで、やはり、精神科の場合は、いつもの先生でないと、話せないことが多い。

   午後4時、訪問看護。母は、いつもの看護婦さんが来たので、笑顔で迎えた。そのあとも、楽しそうに、看護士さんと、コミニュティセンターへ行き、シャガールの絵の本を見たり、イタリアの世界遺産の写真本を見たそうだ。母は、絵を見ながら、いろいろと感想を言ったり、とにかく、とても会話が弾んだとのこと。びっくりした。

1/12(金)くもり

   やはり、やる事がある日は、違うようだ。寒い朝だったが、母は一人でちゃんと起きて、薬をのみ、朝食をすませた。そのあとも、着替えをすませ、リビングに坐って、迎えの車をじっと待っていた。
   その間、一時間以上だが、黙ったまま、じっと待っているというところが母らしい。まだ、金曜日については、通い始めたところもあり、これが精一杯なのかもしれない。
   私も、今週は、火曜日と水曜日に病院の付き添いで、疲れた。昨日は、珍しく、身体がだるかったし、胃腸の調子もわるかった。
   水曜日に、看護士さんが来て、一時間、母の相手をしてくれて、私としては、年末からずっと母と接していたので、ずいぶんと精神的に楽になった。
   「数人で、対応している」という体制が、いかに自分にとって、救いになっているか、改めて感じた。
 
 

母の病歴(9)

[ケースワーカーがつく]

  今度のH病院では、医師、看護婦、ケースワーカーがいた。患者ひとりひとりに、担当のケースワーカーが一人ついた。
  ここでは、医師と患者の間にたって、さまざまな相談や手続きなどの代行などをしてくれる。入院中は、患者との面接のあと、ケースワーカーとも面接し、医師からの治療についての経過などの報告をしてくれ、また、患者の病棟生活の様子も知らせてくれた。家族からのいろいろな要望も聞いて、それを医師や看護婦と打ち合わせながら、やっていくという形だった。

  いままで、I病院では、入院中は、特に医師と面会する機会も少なく、退院間際に会う程度。退院後は、まったく患者まかせで、通院している間はいいが、いかなくなると、まったくつながりがなくなった。家族も、母の病気が悪化した場合、誰に相談すればいいのかわからなかった。

  H病院では、退院後も、母が毎月通院し、診察をうけ、薬を飲むという点では同じだったが、それらについて、ケースワーカーが継続して、把握していた。
  そのため、薬を飲まなくなったり、通院をいやがる場合は、まず、ケースワーカーに相談できるようになった。
  ケースワーカーが場合によっては、患者のお宅に訪問して、様子を見たりして、入院の必要ありということになれば、ベッドを確保してくれたり、細かなことをすべてしてくれた。

  そういうこともあり、母は、H病院に一年入院後は、少なくとも、3年間ぐらいは、通院しながら、普通の生活を続けることが出来た。
  また、このころから、精神科の分野での新薬の開発が進み、良い薬が出始めた。薬の名前は、忘れたが、母は「注射一本で、一ヶ月効果がある」薬と飲み薬を併用していた。
  ケースワーカー制度は、とてもいい制度だ。ただ、ケースワーカーは、数が少ないため、非常に多忙で、なかなか電話もつながらないし、ゆっくりと相談もできないことがあった。
  また、家族がなんでも、ケースワーカーに頼り、医師との距離がひろがり、治療の内容や薬のこと、患者への対応、病気についての知識などを自発的に知ろうとしなくなったのは、のちのち大変な苦労を背負うことになるということは、この頃の私たちには、想像もつかないことだった。
 
 

正月の母

明けまして、おめでとうございます。

元日から今日まで、天気は大きくくずれることもなく、比較的いい日に恵まれた。
母は、正月だということは、わかっていたが、まったく普段と変わらない毎日だった。
元日の午後に、妹も来て、例年のごとくみんなで「正月写真」を撮ったのだが、玄関を出たのは、そのときだけ。
今日のディサービスの日まで、一歩も玄関を出なかった。あまり、正月気分ではなかったようだ。

妹が来たときに、挨拶だけはかわしたが、そのあと、リビングで話しをしたり、お茶やお菓子を食べたりしていたが、一度も、家族に話しかけなかった。
ただ、去年と違って、途中で自分の部屋にひっこんで、横になるようなことはなかったのは、「いい変化」だといえる。

今朝は今年はじめてのディサービスだ。行くことは、前日に言ってあったのでわかっていたようだが、朝食後、着替えをしないので、
「着替えたら?」というと、「着替えたよ」という。すでに、パジャマから普段着に着替えてあるので、なんのことかわからなかったようだった。「ディサービスへいく日でしょ?」というと、やっと、「ああ、そうだった」と思い出したぐらいだ。ちょっと、いつもと違っていた。
 それでも、ディサービスへ行くのは、今では、楽しみとなっているらしく、そのあとの着替えも、全部一人でやって、迎えの車を待っていた。

今年の正月写真と去年のとを見比べると、母の顔の表情も血色も、すこしいいようにみえた。
ケアマネさんからの年賀状に「ゆっくりゆっくり行きましょう」と書いてあった。それを今年の座右の銘としようと思う。

庭の万両
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