固定観念のとりこ

[5/21〜5/25]

5/21(月)晴れ
  
  昨日、妹と二人で、父の墓参りに行った。一年に一度、この時期に行っている。
  数年前まで、母も、行ってたので、夫が車を運転してくれ、妹と四人で行っていたが、母が行かなくなってからは、二人で行くことにした。
  朝、母に墓参りに行くというと、わかっていたようだが、妹の名前を何度も言わないと、理解できなかった。まさか、娘のことを忘れてしまったのかと思ったぐらいだ。

  今朝は、昨日のことは完全に忘れたようで、元気にディサービスへ出かけていった。

5/22(火)晴れ
 
  父の墓参があったからだが、母方の祖父について、お墓は、今誰が見ているのかを確かめた。今は、牧師をしている叔父がみているらしい。
  こういう話は、けっこうはっきりと、母は覚えていた。記憶というのは、おもしろい。但し、「祖父のお骨は、叔父さんの家のベランダにおいてある」という古い記憶のまま、更新されていない。もう、墓をたてて、埋葬したのに。
  
5/23(水)晴れ

  ヘルパーさんとも、看護士さんとも、仲良くやっていた。
  看護士さんは、看護学生さんと一緒にきた。ときどき、実習の学生さんがくる。母は、若い人をみると、甘える。
  ただ、歩けるのに、両側から、手を引いてもらって散歩から帰ってきて、「いいのかな」と内心思った。あとで、影響がなければいいが。その上、室内での歩行練習もやってなかったとのこと。「歩き方もよくなったので」というが、母の場合は、また、すぐに歩けなくなるのに。
  
5/24(木)晴れ

  朝から、母は、夫に言われていた美容院にいこうかどうか、部屋でうろうろしていた。
  私の顔をみるなり、「歩けないから」という。やはり、昨日のことが影響しているのか。ふたりに、手厚く介助しての歩行をすると、「歩けない」という考えが必ず生まれる。
  こうなったら、本人次第なので、私は、黙ってることにした。
  午後遅く、やっと決心をかためて、近くの美容院へ歩いていった。はっきりいって、たいした距離でもないのだ。
  母の場合、これが、病気だと思った。だから、毎回、看護士さんには、歩行練習をしてもらいたいのは、「歩ける」という認識を頭に刷り込ませるためでもあるのだ。何度か、説明したが、やはり、なかなか理解してもらえない。

5/25(金)雨

  今朝は雨。母は、朝から「身体が動かない」といっていたが、薬をのんでからは、言わなくなった。
  そのかわり、長いレインコートを出して着た。家の前まで、迎えにくるのに、長傘まで用意していた。チャイムがなると、さっと立ち上がり(身体がよく動く)、玄関を出ようしてので、もっていく手提げを渡した。迎えの方が傘さしてくれていたので、長傘は、もっていかなかった。
  雨の日は、毎回、同じ繰り返しだ。もう、二年になるのに、傘は不要とは、考えない。説得はしたが、むだなので、やめた。
 
 

「手が動かない」という意味


[5/14〜5/18]

5/14(月)晴れ

  先週後半、食事中、箸を母の手が止まったままでいるので、「どうしたの」と聴くと、「手が動かない」という。
  おかずは、野菜炒め、魚の干物、味噌汁、ご飯。ほんとに、手が動かないならば、全て、食べられないはずだ。それが、魚の干物だけ食べられないという。
  魚が嫌いなのではない。どうも、箸をつかって、細かな作業ができないという意味らしい。それまで、ほとんど、毎日、同じことを繰り返してきたのに。
  しかし、他のおかずは、きれいに平らげたし、手の動きは、悪くなかった。
  また、「思い込み」が始まったらしい。「できそうもない」と思うと、「手が動かないせいだ」と理由づけする。
  今日は、朝は、身体の動きが悪く、時間がかかった。ほとんど、仕度が終わるころに、迎えの車が来て、ディへでかけた。

5/15(火)雨のち晴れ

今日は、午前中、近くの内科クリニックへ母の付き添いで行った。血糖値などは、横ばい状態。今日は、血液検査項目を増やし、レントゲンと心電図もとる。
先生は、朝の身体の動きが悪いことを懸念していたが、心臓のほうは、問題がなく、血液の滞りはなさそうなので、ひと安心。薬をもらってかえる。

5/16(水)晴れ

  天気が不安定だったが、ひさしぶりに、ヘルパーさんが来たので、母は、とても聞き分けがよかったそうだ。
  午後の訪問看護も、看護士さんがくると、にこにこ。母にとっては、やはり、生活の一部のようになっているようだと思った。いつものように、看護士さんとは、近くまで歩いた。

5/17(木)雨のち晴れ

  昨日、張り切りすぎたのか、今日は、一日、部屋にこもっていた。
  私は昼ごろ、ちょっと二時間ぐらい、出かけて、もどってきたら、まだ、布団の中で寝ていた。今日は、昼ぬきのようだ。
  そのかわり、夕食は、食欲もりもり。これが、母の生活ペースなのかなと、しみじみ思う。

5/18(金)晴れ

  朝は、少しぼけーっとしていた。身体の動きも悪かった。薬のんで、食事をしてから、徐々に改善していった。
  ディサービスを楽しみにしているのに、今朝は、もって行くものを手提げに入れるのも、忘れていたようだ。ディの迎えを待っている間も、ぼーっとしいていた。
  ただ、車が来たとたん、スイッチが入ったように、さっと、玄関に行ったので、ひと安心。
 
 

母の病歴(10)

[父が病気になる]

  私が、大学生になってから、父の糖尿病は、悪化していった。
  その間も、母の病気は、あいかわらずで、入退院を繰り返していた。
  病院との接触は、父と母だけで、私は、このころ、ケースワーカーとは、会ったことはない。また、治療の内容も、知らなかった。
  ちょうど、私が、大学卒業して、就職をした年、父は、糖尿病のために、眼底出血をして、入院した。
  それ以前も、足のむくみがひどく、近くの病院に通院していたが、医師からは、一度、紹介された大きな病院に短期入院治療をすすめられていた。しかし、父は、「母をほっとくわけにはいかない。働けるうちは、働く」といって、拒んだ。
  そのため、病は、どんどん、進行してしまったのだ。
  そのときは、簡単な手術で、退院できたが、食生活や、ストレスといった環境は、そのままで、良くなるほうには、向かわなかった。
  
  就職してから、二年半後に、私は、家を出て、自立した。母と暮らしたくなかったからだ。そのころも、母は、また、入院していた。
  母が、入院中、父は、かえって、ストレスがなくなり、病気も、安定していたが、母が退院すると、やはり、また、健康状態が悪化した。
  そのころ、父は、何度か、入院をしたが、すぐに、医師とけんかして、退院した。(母がそう言ってたので、真相は不明)
  父の病気がひどいと、母は、自分のことよりも、父の看護のほうに気をとられ、精神病のほうは、おとなしくなっていた。
  ただ、父の病気は、透析まで、進んでいて、もう、よくならなかった。そういう状態で、二年ほどして、父が亡くなった。
  まだ、二十代半ばの私は、長女として、これから、母のことも、引き受けなければならなくなった。
 
 

息抜きさせてもらう


[5/7〜5/11]

5/7(月)晴れのちくもり

  朝から、「身体が動かない。着替えができない」と言う母をなだめて、まず、血糖値をさげる薬を飲ませる。そのあとは、朝食も、いつもどおり、完食した。
  ディの車が来るころには、身体が動くようになり、自分から、さっさと車に乗り込んだ。
  そのあと、私は、いつもどおり、散らかしっぱなしの母の部屋の掃除をし、ふとんをたたみ、窓をあけて、風通しをした。
  昼すぎに、スポーツクラブに行って、運動をして帰ると、じきに母のお戻りだ。
  夕食をすませ、薬を飲むことも、念をおし、一時間、自分の部屋でテレビをみてから、「なんか、いやな予感がして」おりてみると、母は、薬も飲まずに、入浴。呼びにいっても、わかってなかったらしく、時間をおいて、もう一回いく。
  「飲んだはずよ」と言い張るので、出しっぱなしの薬がおいてあるところので、連れていく。現場をみて、「飲んだつもりだった」
  
5/8(火)晴れ
 
  母には、こだわりがある。薬を飲む時間は、朝は、食後5分、夜は、食後15分だ。医師がそう言ったと言い張るが、付き添っている私は、聞いたことがない。これは、いくら説得しても、だめだ。
  そのため、昨夜も、待っている間に、飲むことを忘れ、風呂に入ったのだ。そんなにひんぱんにではないが、そのこだわりが疲れる。
  それで、必ず、目の前に薬と、水をいれた湯のみをおいて、壁時計をみて、気のすむまで、待っていてくれと、交渉し、成功した。今日は、朝から、実行した。

5/9(水)晴れ〜5/10(木)くもり一時雨

  だんなと二人、伊豆方面に出かけた。戸田から土肥をみて、修善寺で一泊。翌日は、湯ヶ島の浄蓮の滝をみてから、沼津で昼を食べて、帰路につく。天気は、初夏の陽気で、暑かったが、海辺の磯の香りが心地よく、ストレス発散できた。

  母は、意外と、つつがなく、過ごしたようだ。たまには、こうするのもいい。  
 
5/11(金)晴れ

  母は、今朝、ディを楽しみにしていたらしく、全部自発的にやって、車を待っていた。たまには、留守番も、いいかもしれない。
 
 

相変わらずの母


[4/30〜5/4]

4/30(月)晴れ
  昨日、食べ過ぎた母は、予想どおり、今朝、「身体が動かない」といって、なかなか起きてこなかった。
  昨日、私に隠れて、午後、肉まんを4つも、買って食べたのだ。そのあと、私は、「明日、身体が動かなくなるよ」と警告したが、平気な様子でいた。
  今朝、少しは、懲りて学習してくれるといいがと思ったが、望み薄そうだ。期待しないでおこう。いったい、何十回このやりとりがあったんだろうか。つくづく、私も、むだなことをしているなと思う。 
  それでも、ディへは、通ったから、いいかな。

5/1(火)雨
  母と内科クリニックに行く。血糖値は、私の予想どおり、さがっていた。昼に食べる量を少しがまんさせるだけでいいのだ。ただ、これが、母には理解されていないので、このまま、楽観できない。
  帰宅後、雨の日は、やはり、一日寝ていた。昼もぬいていた。

5/2(水)晴れ
  午前中、母と精神科に通う。先生にも、血糖値のことは、報告した。精神面では、今のところ、安定しているので、特に問題なし。
  帰宅後、私は、すぐに出かけた。母には、自分で昼は食べるようにと言っておいたが、晴れているのに、今日も、午後は寝て過ごし、昼は抜き。
  ただ、夕食は、ものすごく良い食べっぷりだった。

5/3(木)晴れ  
  母がどうするかと思ったが、今日は、ちゃんと、昼は買いにいって、食べた。
  朝も、早く起きて、動きもよかったので、やはり、血糖値の影響かな。

5/4(金)晴れ
  今朝は、起こすまで起きず、「身体が動かない」と言っていた。表情も、悪かった。
  ディの向かいの車が来るころには、薬が効いて、身体も動くようになったらしい。ひとりで、玄関を出て行った。