訪問看護のおかげで


7/23(月)曇り
  このところ、ずっと引きこもっていたので、母も、外出したくなったのだろう、ディへは、進んで出かけた。
   帰宅後も、ご機嫌だった。

7/24(火)晴れ

  今日は、内科の日。血糖値がようやく安定してきたらしく、このままいけばいいなとのことだった。
  急に、真夏のような暑さがもどった。
  夜、テレビ番組で、「糖尿病と熱中症」のことがとりあげられていた。やはり、老齢になると、温度センサーがにぶくなるらしい。そのうえ、糖尿病となると、さらに。だから、母は、ふとんの調節ができないのか。注意しなくては。

7/25(水)晴れ

  今日は、精神科の日。いつものように、2時間待った。昨日も、二時間半待ったので、疲れた。先生に、いつものとおり、内科での話しをしたところ、「大分、安定してきていますから、こちらのほうは、二ヶ月に一回の受診でいいでしょう。なにか。あれば、電話ください。」とのこと。
  電話で、アドバイスができれば、来なくてもいいし、もちろん、必要と思えば、きてくれてよいとのことだ。
  私も、「訪問看護が入ってますので、とても、精神的に楽になりました。いろいろと、毎週、細かに相談できますし、母も、楽しみにしています」と言ってたら、「看護が入ると、安心ですね」とのこと。

  この半年、訪問看護があればこそ、母の精神病のほうは、かなり、安定したのは、間違いない。いろいろと、まだ、問題はあっても、それを聞いてもらえる、そういう安心感が家族にも、患者にも、どれほど、重要か。
  医師と薬だけでは、とても、こうは、いかなかったと思うし、今後も、薬だけでは、母の病気の安定は、ありえないと思った。

7/27(金)晴れ
 
  昨日から、30度を越す真夏日になった。急に、暑くなると、体がついていけない。母は、相変わらず、水分補給をしていないようだ。午後は、声をかけないと。食事も、利尿作用のある、きゅうりは、週に2、3回はとるようしている。

  母は、昨日も、一日エアコンもつけずに、自分の部屋にいた。まだ、夜は、毛布一枚をかける。いいかげん、タオルケットに切り替えてほしいが、だめだ。
  今朝は、少し遅めに起きたが、あとは、全部ひとりでやって、ディに行った。私は、母の部屋の掃除と、洗濯で汗だく。毛布をしまって、タオルケットを2枚出した。これで、交渉してみょう。
 
 

梅雨とひきこもり

[7/16〜7/20]

7/16(月)曇り

  土日の台風のため、母は、一日中部屋にこもりきり、ただ、台風ということにも、関心は薄い。
  日曜日の朝は、雨が強く、なにやら、やな予感がしたので、母が起きるとすぐに、下に下りてみた。
  やはり、母は、サッシの戸を、いつものように、開けていた。毎朝、換気のため、起きたら、しばらく、サッシ戸は開けるように言ってあるので、習慣行動になっているのだ。
ただ、今日は、強風と雨なのに、いつもどおり、疑いもなく、同じ行動をとっていた。
  すぐに、「台風だから」閉めるように言ったが、母の返事は、「閉めるの?」だった。いつも台風の時は、こういうことの繰り返しで、ちっとも、進歩しないのはなぜなのだろうか?
  二日も、家にこもっていたせいか、今朝は、母にしては、積極的に、すべて全部こなして、ディへ出かけていった。
  昼前に、新潟でまた、地震があり、夫の田舎なので、びっくりした。夫も、心配だったので、電話してみると、たいした被害はなしとのこと。それにしても、最近、あちらは地震が多い。

7/18(水)雨のちくもり

  昨日は、一日部屋にこもりっきりだった母だが、今日は、ヘルパーさんとは、いつもどおり行動したらしい。それでも、私は、朝、「今日は、誰がくるの?」と聞くと、「看護士さん」と答え、「他は?」「わからない」と言っていた。
  午後、待ちかねていた訪問看護のときは、満面笑み。家族の前では、ついぞ見せたことがない顔だ。これだけ、変化があるのも、珍しい。
  そのうえ、毎日、廊下も、幽霊のような歩き方だったのに、看護士さんとの歩行練習では、気持も入れて、やっていたらしく、ほめられていた。
  受動的な性格なのかと、最近、思ってしまう。

7/19(木)くもり

  朝は、ひとりで起きて、食事、服薬をしたあと、さっさと部屋に入り、じっとただ壁にむかって、坐っていた。
  廊下を歩いて、トイレにいくときも、前かがみで、手は体の前でぶらぶらさせて、歩く。これが、昨日、看護士さんたちの前での母かと思えないぐらいだ。これでは、看護士さんも、いくら私が普段の様子を報告しても、想像できないなと思った。

7/20(金)くもり

  今朝も、少し遅めに起きたが、自分で全てやって、ディの車を待っていた。ただし、朝起きてから、出かけるまで、家族とは、一言も会話なし。
 
 

母の歩行練習


[6/9〜6/13]

6/9(月)晴れ
  
  やはり、月曜日は、いつものよりも、ぼけーとしていた。朝も、ディサービスへいくのに、薬を飲んでから、リビングでぼーといていた。言われてやっと、着替えたりした。
  それでも、ディからの連絡帳に、今日は、簡単な足し算のドリルをしたとのことで、用紙が入っていた。40問、正解していた。しりとりも、やったらしい。少し、信じられない。

6/10(火)雨時々曇り

  内科に母と行った。血糖値が、正常になっていた。それにしても、198だったのが98というのは、どういうことか?こんなに急に下がるのか?先生も、不思議だった。(ちなみに、食事の内容は、変わらず。)今日も、採血したので、結果は、次回わかるはずだ。
  眼科健診の件で、相談した。糖尿病のため、網膜の検査は一度は、行った方がいいとのことなので、もうすこし、血糖値が落ち着いてから行くことになった。
  それにしても、母は、歩きたがらない。手をひくと、私に体重かけてくるので、よけいに、前にのめって、バランス悪くなるのに、そうしている。100メートル歩くのさえ、付き添いのほうが、疲れる。
  
6/11(水)くもり一時雨

  母は、ヘルパーさんとは、ご機嫌よくやったらしい。連絡帳によれば、掃除も、そのあとのコンビニへの買い物も、スムーズだったとのこと。
  午後、看護士さんが来たときに、昨日の血糖値の件を報告した。それから、やはり、毎回、歩行練習もお願いした。
  母の場合、歩いている最中なのに、視線がどこをみているかわからないような、とろんとした目つきなのだ。普通は、外を歩くときは、やはり、まわりに目配りするものだが、それがない。大抵、相手がよけてくれるからいいが、そのうち、ぶつかったりするのではいかと思ってしまう。
  前かがみで歩くので、バランス悪いが、その点は、練習すればなおる。特に、お願いしたのは、歩きながら、まわりに気をつけるように注意しながら、慣らしてくれることだ。
ようするに、「意識」を歩くことに集中させるように、歩行練習をお願いした。
  今日は、そうやって、200メートルぐらいの距離を歩いたらしいが、後半は、やはり、目がうつろになっていたとのこと。

6/12(木)雨

  天気も悪かったが、昨日すこし疲れたのか、午前中は、部屋で寝ていて、あとは、部屋にこもりっきりだった。表情も、暗い。

6/13(金)雨

  昨日、なにもしなかったので、今日は、さすがにディへ行きたかったらしく、ちゃんと、起きて、食べて、薬飲んで、着替えて、車を待っていた。但し、家族のとの会話は、なし。
  歩行練習の件は、ディへの連絡帳に書いて、ディでも、少しやってもらいたいとお願いした。
 
 

母の裏表のある一週間

[7/2〜7/6]

7/2(月)雨

  雨模様なのに、母は、朝も自分で起きて、朝食、服薬を済ませていた。私が、起きるころには、自分の部屋にいて、もう着替えをすませ、ごろ寝をしていた。
  ディへいく日は、よほど関心が強いらしい。行くときは、あいかわらず、無表情だったが、帰りは、にこにこしていた。でも、先週、七夕かざりを作ってきたので、部屋に飾ってあげたが、見向きもしいな。

7/3(火)くもり

  昨日と打って変わり、朝も遅くおきて、朝食、服薬を済まると、部屋に入って、寝ていた。

7/4(水)雨

  朝、ヘルパーさんが来る日は、起きて迎えるように母に言っておいた。なぜか、朝は、きちんと起きて、食事もし、そのあともリビングにいるくせに、11時にヘルパーさんが訪問するときは、きまって、「寝ていらした」という報告だったからだ。
  ほんとに眠いわけではなく、関心がないからだと思ったので、念を押した。そうしたら、予想どおり、起きて出迎え、そのあとも、仲良くしていた。
  ヘルパーさんも、「だんだんよくなっていますね」と報告していたが、はたして、ほんとにそうかどうか。
  訪問看護のことは、決して忘れないのに、ヘルパーがくることは、忘れる。それだけ、相手次第なのかもしれない。
  今日は、雨だったので、看護士さんと、看護学生さんが、母と近くを少し歩いた。それにしても、最近は、歩き方まで、ぜんぜん違う。
  私と歩くときは、目は、うつろで、どこをみているのかわからない表情で、よたよた歩くのに、看護士さんたちとは、にこにことしっかりと歩く。「母が歩くのは、誰のためにしているのか」と時々わからなくなる。

7/5(木)くもりのち晴れ
  
  昨日、がんばったので、今朝は、朝食後、自分の部屋で、寝ていた。
  午後も、ごろごろしていた。ちなみに、今日は、家族と一言も口をきいていない。

7/6(金)晴れ

  今朝は、6時すぎから母は、起きて、リビングでバタバタしていた。
  私が降りていったころには、食事もおわり、部屋で着替えをし、念入りにもって行く連絡帳や上履きの入った袋を見ていた。
  ふと、リビングの食卓をみると、食後の薬が出したままで、まだ飲んでいなかった。母の頭の中は、ディサービスのことだけでいっぱいだったらしい。薬をのませてから、もって行くものを点検すると、家の鍵(帰宅時に家族が不在のときに備えてもたせている)が入ってない。
  母に聞くと、「ズボンのポケットにいれた」という。ディでは、貴重品は、連絡帳といっしょに指定のビニール袋に入れることになっているのだと説明して納得。いずれにせよ、こんなハイテンションでは、きっと後で「鍵がなくなった」と騒ぐだろう。
  月曜日も、自分で鍵使って家に入ったのに、後で、私に「鍵がない」と騒いでいた。ちゃんと、自分の財布の中でしまってあったのに。(私は、すべてお見通しです)
  あまり、ハイテンションも困り者だ。
 
 

「明日の記憶」を観て


  テレビで、「明日の記憶」の放送があったので、観てみた。

  母は、統合失調症なので、それと、比べながら、物語を観ていた。
  
  アルツハイマーという病気について、この映画からだと、十分にわからない面があるのではないかと思った。ひとりひとり、症状が違うし、環境もちがう、家族構成も違うからだ。

  私自身、母と同じ病気の人たちとは、だいたい同じ経験をしてきたのではないかと、ずっと思っていた。
  しかし、家族会に入り、まるで、違うということがよくわかった。数年前、母のことで、八方ふさがりになったときに、参加したが、解決の糸口すらみつからず、逆に、家族会でも、だめなら、あとはどこへいけばいいのかと悩んだ。
  大分たってから、考え方を変えることにした。

  受身になっていては、だめだと。自分ひとりでは、立っていられないほどの状態になると、誰かに、「答え」を言ってほしくなる。でも、「答え」は、自分でみつけるしかないのだと。
  それでは、家族会なんて、いらないのかというと、そうではない。自分が主体となって、他の人たちから「参考」になることを自分で集め、少しずつ、今の状況を変えていくしかない。
  一度に、全部かわらないのだから、あせらない。人と比べたりしない。
  比べるならば、昨日の自分と今日の自分で、「進歩」したか比べる。そういうことの繰り返しを、半年一年続けたとき、ふと、「ああ、ずうぶん、よくなったな」と振り返ることができる。
  
  映画をみていて、もし、これが、統合失調症のことなら、もっとはっはりといえるのだが、実際の人の実体験が感じられなかった。ほんとは、あんなものではないのではないのかなと思ったのは、私だけかしら。