やはり何もしなかった母


[訪問看護記8/23]

 今日も、猛暑だった。母は、この暑い日々、けっこう元気にしている。夏生まれのせいか、汗かきだが、夏バテをしたことがない。これは、すごいことだと思った。
 先週、看護士さんは、「着替えなどに関心をもつこと」「毎日、新聞の表面をみて、日付を確かめること」などをしてくださいねといって、それを紙に書いておいてくれた。
 私は、この間傍観していることにして、母の様子を見ていた。
 結果は、新聞に関心を示したことは、一回もない。毎日、朝食後リビングに坐って、目の前に置かれている新聞には目もくれず、ぼーっとしているだけ。
 着替えも、やはり三日間黙っていたが、毎日取り替えるのは、パンツだけ。その他の肌着や衣類、靴下は言うまで取り替えない。さすがに、この暑いのに、汚れているものをずっと着ているのもよくないので、三日目に着替えさせた。
 ヘルパーさんは、やはり掃除を自分ひとりでやってしまう。母は、その間、リビングに坐って待っているだけ。母の場合、これは、「私は、しなくていいのだ」という確信を強めてしまうことにほかならない。
 たいへんだろうが、ヘルパーさんには、すこしでも生活感覚をとりもどしたいから、母に手伝わせて、いっしょにやっているということを体験させてほしいと言った。
 そうしないと、看護士さんの努力も実を結ばない。

 看護士さんは、「時間がかかるけど、少しずつやっていきましょう」といって、今日も、健康チェックのあと、夕立がふったので、散歩には連れ出せなかったが、母と新聞を読み、体操をしてくれた。
 看護士さんが、母に「自分で毎日着替えをしてますか」と聞くと、母は「してます」といったそうだ。母の着替えというのは、パンツのことだけなのかと思った。
 そんな母に、ちょっとだけびっくりしたことが、あった。
 先日、「明日、月曜日だから、迎えの車にのって、いつもの所にいくのよ。」と母に念を押したところ、母が「ディサービスでしょ」と言ったのだ。
 二月から通い出して、この数ヶ月、ずっと「ディサービス」という言葉を覚えず、今では、あきらめて、遠まわしの表現で伝えていた私は、びっくりした。
 「関心のある言葉」となったから、「ディサービス」を覚えたのか。だから、やはりあきらめないでいこうと思ったのだ。
 
 

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