『記憶がウソをつく』養老孟司著を参照
この本を読んですごく考え方が変わったのは、脳というものは、ほんとに私たちの想像以上だということだ。
私の母の病気も、脳の神経伝達物質がうまく機能しないために起こる病気だが、まだまだ脳の仕組みというのは、わからない点が多い。
たとえば、この本の中でも、「断片をつないで物語にしないと記憶できない」ということや、「記憶は、すりかえられる」、「目に焼きついた記憶は消えないな」どということについては、いろいろと考えさせられた。
私などは、自分が他の人とかわらない記憶力はまだ持っていると自負している。しかし、いわれてみると、小さい時の記憶というのは、いくつかのシーンが頭に残っていて、いつの間にか、それらをうまくつないで、「思い出」という形で記憶しているように思う。
何年か前に、小学校にあがったころの思い出を文章にしてみたが、自分でも、うまく物語にして書いたなと思った。しかし、よく考えると、真実も入っているが、ところどころは、創作だったのだ。
「目に焼きついた記憶」というのは、私にもいくつかある。恐ろしかったり、悲しかったりした記憶のほうが、今でも、はっきりとその情景が目に浮かぶ。
「記憶は、とにかく、情動によって強化される」という。つまり、嬉しい、楽しい、悲しい、恐ろしいという感情のことだが、特に、強烈なのは、恐ろしい、悲しいという感情らしい。それらの感情が伴う記憶は、目に焼きつくという。
普通、記憶障害というのは、時間とか、場所とか、やるべきこととか、そういう日常的なことが、覚えれなくて、すぐに忘れることをいうが、この本を読んでいくうちに、記憶というのは、もっと深いものだと認識しなければいけないと思った。
母の場合も、記憶がすぽっとぬける落ちている場合があるが、医師がいわれたように「関心が薄いから」というのは、正しい。心に残ることや、情動からくる記憶は、意外と覚えているのではないだろうか。
たとえ、「いついつ、どこで、なにがあった」という部分がはっきりしてなくても、「楽しかった」「嬉しかった」「怖かった」「悲しかった」という漠然としたものは、残っているかもしれない。
だから、母も看護士さんとは、細かいことは、忘れていても、「楽しかった」という記憶があるので、来るとにこにこする。
それから、「脳はかわっている」ということを忘れてはいけないということも書かれてあった。
そう言われてみると、今の私は、母のことで振り回されているが、あと何年かしたら、自分も同じことをしているかもしれないのだ。たとえば、動作がのろのろとしているのをみて、今の自分は、ついていけないなと思っているが、あと何年がしたら、そうは思わなくなるかもしれない。
本にも、書かれているが、一番の間違えは、「まわりが変化している」と思い込んでいることで、本当は、自分の脳が変わっているということに気づかないということらしい。
思いやりという言葉があるが、こうしてみると、自分も、「いつか同じ状態になるのだ」と思っていれば、自然と思いやりは、生まれるような気がした。
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