母の病歴(4)


[八百屋事件]

  私が、中学生になってから、母が、入院している間、学校(私学)が終わると、妹を連れて帰宅し、近くのスーパーマーケット(個人店舗が入っている)で夕食の材料などを買う。それから、父が帰るまで、宿題をしたり、テレビを見て待っている。
  電気炊飯器の使い方と、お米の研ぎ方を父に習い、ご飯のセットは、できるようになったが、まだ、おかずを全部作ることのは、出来ないので、半分は惣菜を買って、あとは、父が帰ってから、調理してくれた。
  掃除は、週末に、私と妹が掃除機をかけ、父は、洗濯をした。そのほかのいろいろな家事などは、ほとんど父がやっていた。
  そのほか、母が「着替えがないから、これこれ持ってきて」と言ってくるので、休みの日は、父が必要なものを見舞いのときにもっていった。私たちも、定期的に、父といっしょに母を見舞った。
  そうした生活は、もう、小学校のころからしていたので、私は慣れっこだった。

  母が退院して、しばらくは、家事をやるが、一年ぐらいたつと、急になにもしなくなる。
  私が、学校から帰ると、「今日は、気分が悪いから、夕食は、自分でつくってね」という。お金をもらって、妹と、肉屋さんや魚屋さん、八百屋さんなどを毎日廻るので、すっかり、なじみ客になっていたので、それほど苦にならなかった。
  その日も、学校から帰ると、母は暗い表情をして、部屋に坐っていた。着替えたあと、夕食の買物のメモと、買物かごとお財布をもって、妹とふたり出かけていった。
  八百屋は、スーパーマーケットの中に一軒と、少し離れたところに、一軒あり、どれも、通り道なので、日によって、どちらかで買物をしていた。
  その日、少し離れたところの八百屋に立ち寄った。店の奥には、30歳ぐらいのお上さんがひとりいる。その人は、私の顔をみるなり、血相を変えて、「あんたたちのお母さんがね。私をひっぱたいたのよ」と大声でわめいた。
  私は、突然のことで、ショックで頭の中が真っ白となり、なんのことか、さっぱり、わからなかった。母は、暗い表情をして、静かに家にいる。いままで、母が人をたたくようなことなんて、一度もなかった。だから、ただ、驚いて、立ち尽くしていた。
  その後も、店にいたほかの奥さんたちに、「あの子たちの母親が、」と言い続けていて、私は、なにもできず、ただ妹の手を引いて、すごすごと家に帰った。そして、父が帰ってきてから、父に八百屋に行ってもらおうと思った。
  夜、父が仕事から帰ると、私は、八百屋での出来事を話し、父は、すぐに、八百屋に行ってくれた。父がだいぶたって、戻ると、母のしたことがわかった。
  父によれば、母は八百屋にたちより、普通に買物をしていたという。そのうち、お上さんが近くを通り、母が急に頬を叩いたというのだ。お上さんの言い分では、「私は、べつになにもへんなことを言ってないし、いつもどおりしていたのに、突然、叩かれた」とのこと。その後、興奮していたお上さんは、一時間ぐらい父に文句を言い続けたらしい。それで、おわびの気持として、りんごを一箱買ったという。
  その話を父から、聞いていると、しばらくして、八百屋のおじさんがやってきた。
  「私も、でかけていて、女房からきいてびっくりしましたが、りんごはいいですから、お返しください」という。
  八百屋のおじさんは、以前からの顔なじみなので、私たち子供にもやさしい。父は、「うちのは、病気なので、迷惑かけましたから、いいのです」といった。
  母は、どうやら、記憶がとんでしまっていたらしい。母の言い分は、聞けなかった。そのあとも、落ち着かないので、また、しばらく、入院となったが、この事件から、母の病気がいままでとは様相を変えていく。
 
 

コメント

幼い頃から、家事やお母様の面倒を見てこられたのですね。中学生とはいえ、多感な時期に、学校の他に買い物や家事をされたりと大変だったと思います。八百屋の件も、お母様の記憶がなければ、真意はわかりませんし、当時はとても辛い思いをされたこととお察し致します。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://keikamaru.blog35.fc2.com/tb.php/139-1d532f58