母の病歴(6)

[祖父が語る母]

  父の両親は、もういなかったので、私は、父方のほうの親戚は、あまりいなかった。祖父といえば、母方のほうで、生まれたときは、祖母も健在で、よく世話をしてくれたという。祖母は、私が、小学校3年生のころ、亡くなった。

  母は、五人兄弟の三番目で、一番上の兄は、幼い時に亡くなっている。その次の姉は、7つ年上で、性格は、とてもはっきりしていて、自由奔放な生き方をしている人だ。その下が母で、母の下には、2歳ちがいの妹、10歳ちがいの弟がいた。
  母の妹も、わりとしっかりしていて、はっきりものをいう性格である。母は、叔母の話によれば、学校での成績もよく、親のいうことはよくきくタイプだったという。ただ、家の手伝いなどは、元気な妹がよくやらされていて、母はどちらかといえば、あまり体を動かさない、文学少女みたいなタイプだったという。

  祖父母は、兄弟の中で、「性格がいちばんおとなしい」というふうに思っていた。
  小学校のころ、母の病気が安定していた年は、よく私たち姉妹をつれて、実家に帰っていた。実家のすぐ近くに、姉がいたし、妹も、夏休みにはもどっていて、よく、三人で話しこんでいたのを覚えている。
  あとから、聞いた話では、しゃべるのは、姉と妹で、母は、聞き役だったらしい。しかし、自分のことをあれこれといわれ、あとで、我が家にもどってから、ふさぎこんでいたことがあり、あまり、よくないなと私たち家族は、感じていた。

  それでも、中学生になるまで、母の病気は、どちらかといえば、「うつ病」タイプで、あばれたりすることは、なかった。それが、中学に入り、なにか心に「不安」の種が植えつけられてどんどん成長していったように思う。
  もちろん、私は中学生で、そんなことに気がつくわけもなく、病気のことも、よく理解できなかった。学校の先生は、父から母の病気のことを聞いていたが、友達には、話していない。話しても、理解できないだろうし、せめて、学校にいる間は、忘れていたかったのかもしれない。
  母が近所の人と、トラブルを起こしても、父がていねいに説明し、謝罪して、私たちには、隣の商店で買物させたり、挨拶させたりしていた。そうしたことを父がやってくれたおかげで、私たちは、孤立せずに暮らしていけたのだと、思っている。
 
 

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