ディでの母の様子


[ディサービス記12/11]晴れ

  母は、今朝は、やはり、表情が悪く、のろのろと食事し、着替えていたが、ディには、行った。

  夕方、車から降りたときに、職員さんが「今日は、午後大正琴の先生が来たとき、『あっ、先生が来なすった』といって、とてもいい笑顔で迎えられたのですよ。いままで、そんなことは、なかったのに」と言っておられた。
  母に「楽しかったの?」と聞くと、笑顔で「楽しかった」と答えた。
  
  帰宅後、母にいろいろな質問をしながら、なぜ二回行きたくないのかを探ってみた。
  どうも、疲れるからとか、楽しくないからということではなく、「必要性」を感じないらしい。
  たとえば、そこで、体操したり、身体を動かすことは、確かに母の足腰にはプラスになっているのだが、本人は、そうは思ってない。
  「寝てばかりだと、足が弱る」ので、そこで運動することが大切ということが、どうも、わかってない。「年をとったから、足が弱る」というロジックなのだが、「運動が必要」とは、あまり思ってない様子。
  もちろん、私がそれを説明すると、「わかった」というが、結局、その場かぎりで、次の日からまた「寝てばかり」の生活にもどる。
  ディサービスは、楽しいし、いやではないものの、母が、「必要性」を認識していないという点は、覚えておかないといけないなと思った。
  たとえば、以前、健康診断に行かないといい続けていたのも、同じロジックだった。何年も、説得したが、だめだった。そのくせ、「身体が動かない」という。普通ならば、病院にいこうと思うのに、母は「必要ない。精神科にいけば治る」といい続けた。母のロジックと私たちのロジックは、かみ合わないのだ。
  とはいえ、看護士さんが、行くようにいうと、すんなりと、「必要性」をみとめた。こういう点は、本当にいまだに私には、理解できない。
 
 

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