[幻聴で暴れる]
母は、私が高校生のころの入院のあと、約二年間は、I病院に通院していた。
私の記憶では、高校の卒業式や、大学の入学式には、母は家にいて、普通に暮らしていた。そのあと、私が大学二年のころ、母が40代後半のころから、また、少しずつ病状が悪化した。
そのころ、家計は、母に全部預けてあった。母は、普段は、ごく普通の主婦として、家計を管理し、貯金もしていた。浪費ぐせもなく、物を買うのも、必要なものしか買わなかった。
母の病状の変化は、やたら物を買いまくり出したことから、はじまった。
私たちは、毎日母が買物袋を両手にもって、帰ってくるのが不思議だった。そのうち、それが、同じデザインの色違いのスカートを数枚単位で、まるで、手当たり次第物を買ってきていることに気付いた。
「おかしい」とみんなが、思っているうちに、毛布を10枚買ってきたり、そのほかも、セーターやブラウスや、アクセサリーなど、とにかく、家の中は、買物袋や品物であふれるようになっていった。
父が、「もしかすると、定期預金も、使っているのかもしれない」と、通帳を確かめると、すべて引きおろされていた。それで、すぐに、通帳は、母からとりあげたが、もう、おそかった。
お金を下ろせなくなった母は、しばらくは、家でおとなしくしていた。毎日、家事をせずに、好きな時間に起きて、ご飯を食べ、また、寝たりしていた。
「これで、薬を飲んでくれれば、落ち着くかもしれない」とみんな思っていた。しかし、父が勧めても、母はだんだん薬を飲まなくなった。
ある日、学校から帰宅すると、庭にたくさんの衣類や物が捨てられていた。みな、母がやったのだ。それを、妹と片付けたが、次の朝、出かけようとすると、隣のMさんに呼び止められた。
「お宅の物が家に投げ込まれている」とのこと。母の仕業だった。それで、また、あやまりながら、それを片付けた。
そのあと、母は、昼夜逆転の生活になった。昼間寝て、夜起きて、大声でわめく。幻聴のせいだが、私たちは、みな寝られない。父がいくら、薬を飲むように行っても、病院に連れて行こうとしても、だめだった。
それでも、父がいい続けると、「ここは、私の家だから、出て行け」と父に怒鳴った。
私たちも、毎日眠れないので、母に「病院にいって」というと、「みんな、でていけ」と怒鳴られるだけだった。家族としては、暴れる母をタクシーに乗せて病院に連れていくこともできず、どうしていいのかわからなかった。
こうした生活が数ヶ月も続いたある夜、父が説得すると、母は包丁をもって暴れた。父は、私たち娘にけががあったら大変なので、すぐに部屋に入って鍵をしめるように言った。
しかし、このままでは、家族が毎日安心して眠ることもできない。私たちも、ノイローゼになりそうだった。母が包丁を持ち出したので、父は、警察に電話した。
警察は、来たが、「家の中のことには、ふみこめない」と言って、母をみると、少しおとなしくなっていたので、そのまま、ひきあげようとした。
そのとき、母が急に幻聴でわめき出し、警察の姿を見て、怒鳴りだした。「自分を捕まえにきたのか」と。
その様子をみて、警察も、父に病院に電話し、そこまで、連れていってあげようといってくれたのだ。
もう、夜9時をまわっていた。父がI病院に連絡したが、「明日にしてくれ」と断られた。しかし、このままにすることは、できない。そこで、別のH病院に電話で打診した。
幸い、そこは、病院のほうからも、迎えの車を出せるとの返事だった。家からも、車で5分のところである。
結局、H病院からの車の到着を待って、警察のほうは、ひきあげた。私は、父といっしょに母を乗せた車で病院に向かった。
入院の手続きなどをして、二時間ぐらいかかったが、帰りぎわ、父とふたり「これからは、なにかあったら、病院のほうから車を出してくれるから安心だね」と話したことを、今もはっきり思い出す。
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