「明日の記憶」を観て


  テレビで、「明日の記憶」の放送があったので、観てみた。

  母は、統合失調症なので、それと、比べながら、物語を観ていた。
  
  アルツハイマーという病気について、この映画からだと、十分にわからない面があるのではないかと思った。ひとりひとり、症状が違うし、環境もちがう、家族構成も違うからだ。

  私自身、母と同じ病気の人たちとは、だいたい同じ経験をしてきたのではないかと、ずっと思っていた。
  しかし、家族会に入り、まるで、違うということがよくわかった。数年前、母のことで、八方ふさがりになったときに、参加したが、解決の糸口すらみつからず、逆に、家族会でも、だめなら、あとはどこへいけばいいのかと悩んだ。
  大分たってから、考え方を変えることにした。

  受身になっていては、だめだと。自分ひとりでは、立っていられないほどの状態になると、誰かに、「答え」を言ってほしくなる。でも、「答え」は、自分でみつけるしかないのだと。
  それでは、家族会なんて、いらないのかというと、そうではない。自分が主体となって、他の人たちから「参考」になることを自分で集め、少しずつ、今の状況を変えていくしかない。
  一度に、全部かわらないのだから、あせらない。人と比べたりしない。
  比べるならば、昨日の自分と今日の自分で、「進歩」したか比べる。そういうことの繰り返しを、半年一年続けたとき、ふと、「ああ、ずうぶん、よくなったな」と振り返ることができる。
  
  映画をみていて、もし、これが、統合失調症のことなら、もっとはっはりといえるのだが、実際の人の実体験が感じられなかった。ほんとは、あんなものではないのではないのかなと思ったのは、私だけかしら。
 
 

コメント

私はこれも見逃してしまった。
家族の介護には、家族にしかわからないもの・・・
結構ありますよね。
十人十色ですよね。
家族だからこそ、越えられない何かもあると思うのです。
看る方も看られるほうも大変ですよね。
私ももう22年です。
長かった。

まんまるさん
 このブログからもリンクしている「若年性アルツハイマー介護日記」の方のブログを拝見していると、映画の内容が外部の人から見たアルツハイマーだなと思ってしまうのです。

 家族間の感情って、もっと複雑ですよね。
 私も、普段は、母のことは、どちらかというと、かかわりたくないという感じだし、そんなに愛情かけていないと思うのですが、以前、母が一日行方不明になった(病気のために、おかしくなって、だまって家を出た)ときは、ひと晩ねむれなかったです。
 だから、愛情表現も、いろいろなんだなと思って。
 今の私は、そういうこともあって、普段は、開き直ってます。心の奥に、母に対しては、愛情があるのだから、普段は、むりしなくてもいいやと思って。

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