[9/3〜9/7]
今週の火曜日に、内科クリニックに行ったとき、その看護婦さんが、無表情で待合室にいる母にいろいろと話しかけてきた。
大きな水槽が設置されたので、その話をしたのだが、母はお愛想でにこにことうなづくが、質問には、とんちんかんな答えがたびたび帰ってくる。私からすると、ほとんどいい加減に受け答えしている。
それから、診察室に入り、診察のあと、採血のときも、看護士さんは、ディサービスのことを話題にして、「なにをしているの?」と聞いた。
「なにも、していない」といい加減に答えるので、私が「体操したりしていますよ」と看護士さんにいう。
「体操している?」と聞くと、「ああ、してます」
「どんな?」
「いろいろ」
午後の活動も、大正琴しているというので、「どんな曲目?」と聞かれると、
「お弁当のおかずは、いろいろ」とまたもや、とんちんかんの答え。これは、よく聞えなかったことと、勝手な推測でそういう質問だと思ったことは、わかったが、普通は、いきなり、大正琴からお弁当は結びつかない。
このような、会話が家では、日常茶飯事なので、急いでいるときは、さすがにいらいらする。重要なことは、ホワイトボードを使うが、相手の話の内容からの推測というのが、できないから、はっきりと聞えてないと、へんな単語に聞えてしまうのだろう。
それでも、この場合、この看護士さんには、このような調子だが、訪問看護の看護士さんとは、かなり、スムーズな会話ができているから不思議だ。
耳が遠いということではなく、人の話に聞き入ろうという意思が強いかどうかで、かなり違う。母の場合は、それが顕著にあらわれる。
水曜日の訪問看護では、やはり、精神科の看護士さんだったので、おなじようなやりとりは少しあったが、「精神の薬の影響もあるので」と理解しておられた。私としては、心強い味方だ。
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お母様の病状に一喜一憂ですね。
私の母も、本当に動けなくなって
しまいました。
忘れる事も凄いスピードで加速しています。
動けなくなると更にっていう思いが
強いです。
私も一喜一憂です。