[訪問看護記5/31]
二週間ぶりに、いつもの看護士さんが訪問された。
母は、相変わらず、朝は起きてしばらく「体が動かない」といって、坐っている。朝食のときも、パンを袋から出して、じっとしてかたまり、しばらくして、それを皿にのせたりと、ひとつひとつの動作が遅いうえ、一休みがある。
見ると、手足とも、ふるえている。以前も、あったが、最近は、ほとんどそういう症状はなかった。薬の影響は、もうしばらく続くだろう。
午後、看護士さんにこれまでの経過を話した。
「体が前よりも、動かなくて大変ですか」と看護士さんが母に聞くと、
「そうでもないです」と答えた。本人は、もう忘れているのか、それとも、それほどつらいと思っていないのか。
午後になると、体も動くので、朝だけなのかもしれない。
その後、いつもどおり、看護士さんに健康チェックしてもらってから、外を歩いた。
帰ってくると、看護士さんは、「やはり、以前よりも、足の運びが悪いですね。」とのこと。新しい薬の量に体が適応するまで、仕方あるまい。
それでも、今日も英語の文章をひとつ覚えた。すぐに忘れるかもしれないが、短い時間に覚えて、看護士さんが「お母さん、言ってみて」というと、すらすらと言えるので、すごいなと改めて感心した。
脳というのは、ほんとに細かく分かれていて、ある部分は、機能が低下していても、ある部分は、ちゃんとまだ機能しているのだなと思う。だから、いろいろ試して、本人がまだできるということをみつけることも、とても重要なのではないかと思う。
もし、看護士さんが、母のそういう面を見つけてくれなかったら、私は、母に対してまったく「期待」をもたずにいただろう。母にしても、自分は、もうだめだと思っていた。英語がまだ覚えられるという事実が母の心にいい影響を及ぼす可能性が出てきただけでも、私にとっては、「癒し」になるのだ。
わが家の夏椿